■福音と文化を考える
1988年4月に開設された当研究所は、キリストの福音を生活のあらゆる面に適用するというビジョンを表わすために命名されました。このビジョンこそ、大宣教命令が求めているものだと信じるからです。
「それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます」(マタイ28:19〜20)。
キリストは弟子たちに向かって、世界中に出て行き、すべての国々を弟子とするように命じられました。この命令は、次の二つの手順を踏んではじめて全うされるのです。1)国々にバプテスマを授け、キリストの契約に与らせる。2)キリストの命じられたすべてのことを守るように教える。そのようにしてキリストの福音は宣べ伝えられるのです。
イエス・キリストの教会は、キリストの救いの恵みを宣言し、人々にバプテスマを授ける働きをたゆまずに行なってきました。キリストの御国を建設するために多くの宣教師、伝道師、福音の説教者たちは犠牲を払い、彼らの働きによって神の言葉は大いに広まったのです。故に私たちは彼らに心からの敬意を抱いています。
しかし同時に、教会の宣教の働きに重大な欠落があったとも考えています。特に、ここ100年間余りがそうだったと言えましょう。牧師や宣教師は、キリストの命令のすべてを守るようにキリスト者に教えてこなかったために、大宣教命令は未だ遂行されていません。聖書の戒めに従うことが大宣教命令の一部であるという認識を深く持つキリスト者も多くはいないでしょう。
キリストの命令には聖書、即ち、旧新約聖書の倫理的教えのすべてが含まれています。実に、聖書にこそ、あらゆる学問分野とあらゆる実生活上の根本的な問題に対処するのに必要な知識と解答が示されているのです。
混迷を続ける現代は、答えを切に求めています。経済危機、教育や道徳の荒廃、家庭の崩壊、増える一方の犯罪と暴力、オカルト―――これら諸問題に対する答えを社会もキリスト者も必要としているのです。
人間の罪が生み出す悲惨な現実に対する答えは福音の他にはない、というのが私たちキリスト者の確信するところです。キリストの福音こそが、神の贖いの恵みによる救いの道なのです。恵みのゆえに、信仰によってのみ人間はその罪が赦され、義と認められるのです
(エペソ2:4〜9)。
キリストに在るその信仰は、新しいいのちの誕生に始まりますが、決してそこに留まるものではありません。神は信じる者が良い行ないをするように選んでくださったからです
(エペソ2:10)。聖霊の力によって、私たちは主の戒めを守ることができるように成長し (ローマ8:4)、良いわざに満ちた義しい生活を通して、御国のために残る実を結ぶ者とされるのです
(ヨハネ15:16)。
キリストは今、天におられ、すべての上に高く上げられ、御国の実現をもたらすために、御自分の教会を通して働いておられます (マタイ28:18;
エペソ1:15〜23)。キリスト者の義しい生活と良いわざは、キリストが御自分の敵を滅ぼすための手段であると聖書は教えています (Iコリント15:25〜26)。つまり、キリスト者が御言葉に従った生活をすることにより、キリストの御国が地上で拡大し、果たして教会は世界規模のキリスト教文明を築き上げていくことになります。神の御名は崇められ、御旨が天で行われるように地上でも行なわれ、キリストの恵みと福音の力によって、御国の完成を迎えるに至ります。キリスト者の祈りが遂に答えられるのです
(マタイ6:9〜10)。
御言葉を中心にした、このようなキリスト教文明の建設を目指してキリスト者は労します。「主の家の山は、山々の頂に堅く立ち、丘々よりもそびえ立ち、すべての国々がそこに流れてくる」(イザヤ2:2)。天においても地においても、一切の権威が既にキリストに与えられています。御霊の働きを通し、また御自分の契約の民を通して、キリストが御国を再建しつつあり、ハデスの門もこれに打ち勝つことはできません。御霊の力によって、教会はサタンとその軍勢を打ち破り、キリスト者は主の栄光を見るに至るのです。この目的を果たすために、私たちは大宣教命令の全体を遂行するよう努め、死に向かいつつある世に対して、聖書からの答え、キリストの命令を共に伝えて行こうではありませんか。