ローマ人への手紙1章1〜2節
1:1 神の福音のために選び分けられ、使徒として召されたキリスト・イエスのしもべパウロ、
1:2 ―― この福音は、神がその預言者たちを通して、聖書において前から約束されたもので、
98.06.07. 三鷹福音教会 ラルフ A. スミス牧師 講解説教
三鷹福音教会の聖日礼拝メッセージおよび週報をもとに編集したものを掲載してあります。
パウロのあいさつ
ローマ人への手紙1章1〜7節
神の福音のために選び分けられ、使徒として召されたキリスト・イエスのしもべパウロ、――この福音は、神がその預言者たちを通して、聖書において前から約束されたもので、御子に関することです。御子は、肉によればダビデの子孫として生まれ、聖い御霊によれば、死者の中からの復活により、大能によって公に神の御子として示された方、私たちの主イエス・キリストです。このキリストによって、私たちは恵みと使徒の務めを受けました。それは、御名のためにあらゆる国の人々の中に信仰の従順をもたらすためなのです。あなたがたも、それらの人々の中にあって、イエス・キリストによって召された人々です。―― このパウロから、ローマにいるすべての、神に愛されている人々、召された聖徒たちへ。私たちの父なる神と主イエス・キリストから恵みと平安があなたがたの上にありますように。
パウロの挨拶と文化的背景
最初に、パウロは、当時の普通の手紙で使われる挨拶の形式を用いて書き始める。「パウロから...」と自分を紹介し、そして「召された人々へ」と続き、「恵みと平安があるように」と結ぶ。「召された人々」とは教会のことである。パウロはまず、自分が何者なのかを説明し、次に読者が誰なのかを明らかにし、そして祝福のことばで締めくくるのである。この形式は、ローマ時代のギリシャ的な普通の挨拶である。普通はもっと短い文章になっていて、パウロの挨拶のように長くはないが、パウロは、当時の文化の一般的な手紙の挨拶の言葉の形を借りて挨拶している。しかし、パウロは、ただその形式を借りるのではなく、本質的に、深い意味において全く違うものに変えている。それで、パウロの挨拶の仕方一つを見ても、クリスチャンと文化の関係がどういうものなのか、どうあるべきなのかをよくみることができると思う。
手紙を書く時に、どういう形で書くかには深い倫理的な意味はない。誰が受取人かというところから始めるか、誰が書いたのかというところから始まるのか、あるいは、挨拶の内容から始めるか、それは様々である。ローマの場合は、まず差出人があって、受取人が書かれて、最後に祝福の言葉があるのが一般的であった。形式は別に問題ではない。大切なのは、パウロがその形に変化を与えている点にある。当時、この手紙を読む者は誰ひとり彼の挨拶が型にはまったものとは思わなかったであろう。しかし、パウロは、普通のギリシャ的な形式を採りつつも、読者を驚かせたであろう言い方で、自分の目的に合わせて変化を加えている。ギリシャ的な形式のままであれば、「パウロからローマの教会へ、あなたがたの上に恵みがありますように。」というようなものになったであろう。しかしパウロは、それらの要素の一つ一つを発展させて、短くて印象の薄いその形式を、すばらしい深さを持った7節に及ぶ挨拶に変えている。
私たちがここで見るのは、如何にして福音が文化を変えるかということである。パウロはギリシャ的な構造を捨てる必要はない。その形式や構造自体には不道徳なことや不適切なものは何もないからだ。しかし、パウロがこの構造を借用する時、パウロはそれぞれの要素を崇高な目的のために用いられるようにと、それを「キリスト教化」するのである。自分のことを紹介する時に、神を中心に、そして御言葉を中心にして自己紹介するのである。受取人に言及するところでも、「キリストにある聖徒たち」という言い方で、受取人と神の関係を中心にして挨拶を送る。挨拶の内容も、「恵み」とか「平安」(日本的に言えば「お幸せに」的な表現になるが)というごく一般的な挨拶言葉を用いるにしても、「父なる神の恵み」とか「主イエス・キリストからの恵みと平安」という言い方によって、その意味するところは、普通の「恵まれますように」とか「平安であるように」とか「お幸せに」というものとは全く違う意味になる。すべてを神との関係において言っているのである。それは「契約の祝福が与えられますように」という意味である。その前後の変化によってまったく根本的に違う意味に変わっているのである。
パウロは、ただ単に表面的な形だけを借りて意味もなく使うことはしない。その形を使う時、それをクリスチャンらしいものに本質的に変えて、神に対する信仰と教会に対する愛などを表わすのである。それ故、形としてはごく普通の挨拶なのに、実に革命的な序文になっている。この挨拶文は、続く書簡へと有機的につながり、すばらしい挨拶であると同時に、福音への導入ともなっているのである。この手紙を読む者たちは、クリスチャンと周りの文化とが、どんなに違うのかということを感じないではおれなくなる。一言一句が革命的である。パウロのような成長したクリスチャンが周りの文化の形式を借りる時、それらを「中立的な」ものとして用いることはしない。キリスト教的なものとなるように、その意味を本質的に変えるのである。
1章1〜2節の解説
キリスト教化された挨拶のことばは、最初にまず手紙の著者パウロについて説明し、1〜6節で彼が何者であるのかを語っている。7節には手紙の受取人について、そして挨拶のことばが短い形で書かれている。明らかにパウロは、ローマの教会に自分のことを紹介することを重大なことだと考えていた。パウロはまだこの教会を訪問したこともなく、そこには彼の教えに反対したり、あるいは誤解したりする者たちがいた。それで、パウロの自己紹介のうち6節中5節が彼のメッセージの内容に係るものになっている。日本語の単語や文の順序は、ギリシャ語原語のそれと違っている。翻訳によっては、7節の前半を最初に持ってきて1節に入れてるものもある。それほどに、日本語と原語の文型の流れは違うものである。
ギリシャ語では、最初の言葉は「パウロ」である。異邦人であるローマの人々は彼を「パウロ」と呼んでいたが、それは異邦人に対する宣教の働きの中で使われた名前であった。最初に彼は聖書の中で「サウロ」という名で紹介されている(使徒7章58節)。パウロは、クリスチャンになってからずいぶん後になってもサウロと呼ばれていた。「サウロ」という名は、彼のユダヤ人としての名前なのである。「サウロ」はクリスチャンになる前の名前で、「パウロ」はクリスチャンになった後のクリスチャン・ネームだ、というようなことではない。また、パウロという名は、彼の按手礼の時につけられた名前ということでもない。なぜなら、その時、彼は御霊によって「サウロ」と呼ばれているからである(使徒13章2節)。
パウロが救われたのは9章のところであるが、その後もサウロという名は13章まで使われている。ルカはただ、彼が「パウロ」とも呼ばれていると言っているのだ(使徒13章9節)。パウロの時代のローマ市民は三つの名前、即ち、praenomen(第一名・個人の名前)、nomen(第二名・一族の名前)、cognomen(第三名・家族の名前)を持っていた。それに加え、多くのローマ人はsignomenという正式ではない名前をも持っていた。「サウロ」は彼のsignomenで、「パウロ」がcognomenであったと考えるのが一番よいようである。パウロはローマ市民としての名前であった。サウロはユダヤ人としての名前であった。それ故、異邦人の間で働く時に「パウロ」という異邦人としての名前を使っていたのだと考える方がよいと思う。
ギリシャ語原語で二番目の言葉は「奴隷(或はしもべ)」である。続いて「キリスト・イエス」となっている。パウロは、最初に自分を「キリスト・イエスのしもべ」と呼ぶのである。ローマ時代の書簡形式の一風変わった言わば修正版の冒頭に置かれたこの表現は十分に注意を喚起するものであった。ローマ人は奴隷の意味をよく理解しており、誰も奴隷であることを誇ったりはしない。奴隷とは、見下される状態を意味したからだ。自分を「奴隷、しもべ」と呼ぶこと自体、ローマの人々にとってはショックなことであった。ギリシャ人は非常にプライドが高い。ペルシャ人は王に対しては最後までお辞儀をするが、ギリシャ人は「人間としてのプライドもないのか」といってそれを軽蔑する。奴隷は、人間としての身分も認められないほどに低く考えられていたので、自分を奴隷として紹介することは、奴隷でさえ嫌うことであった。
東洋人ならば、自分のことを「主人のしもべ」「王の奴隷」と呼ぶこともあるが、ギリシャでは若干の例外を除いては、自分たちの神々の前ですら跪くことはしない。パウロは自由人であり、ローマの国籍を持っていた。その文化の特権を受ける身分を持ちながら、自分をキリストの奴隷としておおやけに紹介したのである。それは、パウロのへり下った心を表わしているとも言える。キリストの御前におけるパウロの謙遜と、キリストへの絶対服従を堂々と告白することは、ギリシャ的心理を持つ当時の読者を不愉快にさせたことだろう。彼らにはショックなことであった。そして、それこそ紛れもなくパウロがそのような表現を用いた目的の一つであったのだ。
なぜなら、福音は、クリスチャンがその世界観全体を変えるように命じるからである。パウロは彼らが何を考え、どう感じるのかを知っていたが、それに対して敢えてはっきりと自分と神との関係を明らかにして、「私はキリストの奴隷である」と公言しているのである。パウロは、ギリシャ人のコリントの教会でも「すべてのクリスチャンはキリストの奴隷である」という言い方をしている。パウロは、自分を紹介する時に、まず自分はキリストのしもべであり、奴隷に過ぎないという言い方をする。それは、当時のギリシャ文化に対して挑戦的で革命的な言い方だと言っていい。
同時に、それはただ単にその社会や文化に対してショックを与えるためのものではない。これは、旧約聖書の文化とギリシャの文化の相ぶつかっているものでもある。どういうことかというと、アブラハムは神のしもべ、主のしもべと呼ばれた。モーセも主のしもべと呼ばれた。ダビデも主のしもべと呼ばれたのである。つまり、聖書に基づいた世界観を持っている人々が、「神のしもべ」という言い方をする時、それは決して他の人間との比較においてその地位を考えてはいないのである。絶対なる神に対してはすべての人間は奴隷以上ではあり得ない、主なる神の命令は絶対的なものであり、人間はそれに従うべきものである、という認識がその言い方の中に含まれている。
「神のしもべ」、それは特権なのだ。栄誉に満ちたすばらしい祝福のことばである。それで、旧約聖書の中では偉い者が神のしもべと呼ばれている。悪者とか社会の中で程度の低い者は、決して神のしもべとは呼ばれない。アブラハム、モーセ、ダビデ、そのような最も尊敬される者たちが、旧約聖書では「神のしもべ」と呼ばれるのである。それで、パウロは、この言い方を自分について使う。ギリシャ文明の中では、この言い方は恥だと思われて誤解を招くかもしれない。しかし、パウロはそのような文化的な問題においては、はっきりと聖書の土台に立って非聖書的な周りの考え方を打ち倒すような書き方を、しかも手紙の挨拶の中で用いているのである。その挨拶には、非常に深くて広い意味が含まれているのを見ることができると思う。挨拶においてでも、クリスチャンらしく考え、そしてすべての事において本当に主イエス・キリストを造り主として救い主として第一にする、そのパウロの心をはっきりとここに見ることができる。
パウロが「イエス・キリスト」という名について語る時、ただ単に「イエス」が先で「キリスト」は後に来るというふうに考えてはいない。「イエス」という名はギリシャ語の「ヨシュア」で「主」を意味しており、「キリスト」はギリシャ語の「メサイア」で「救い」という意味の言葉である。「イエス・キリスト」という名前は、「主は救い」という意味である。「ヨシュア」と名付けられたのは、キリストはご自分の民をその罪から救ってくださるからである。マタイの福音書に記されているとおりである。「イエス」という名は救い主を表わす名前である。「キリスト」は「メサイア」である。だから、「キリスト・イエスのしもべ」という言い方は「メサイアであるイエスさまの奴隷」ということなのである。その言い方は、主イエスは誰なのか、どのような御方なのかを宣言する言い方である。
「メサイア」は、すべての上に立って支配する者を意味している。自分はその「メサイア」の奴隷である、とパウロは誇りをもって宣言するのである。それは非常に祝福された高い地位の称号なのである。ギリシャ文化においては不快なことが、聖書の文化においては栄誉なのである。自らを奴隷と認めることにはある種の謙遜(深いへりくだった心)が要求されるのは事実であるが、天と地を統べ治めておられる王なるメサイアの奴隷であることは決して低い地位を意味しない。それ故、パウロは、主イエス・キリストとの関係においては、自分は単に奴隷に過ぎないことを最初に宣言する。キリストは主、メサイア、すべてを支配する御方であり、すべてのすべてである。主の主、王の王なるメサイアであるキリスト・イエス以外の何者にもパウロは奴隷とされることはないのである。この称号は、実は、すべてのクリスチャンにも使われるべきものであり、実際にそのように呼ばれている(コリントへの第一の手紙7章22節以下、エペソ人への手紙6章6節参照)。
次に、「使徒として召された」という言い方が出てくる。それは、パウロの教会の中での地位、立場、責任を表わす言い方である。「使徒」という言葉には特別な意味がある。「使徒」というギリシャ語の動詞形「アパスタロー」は「遣わす」とか「送る」という意味である。「使徒」という言葉には狭い意味と広い意味があって、広い意味では何らかの仕事を行なうために遣わされている者ということになるが、狭い意味では、遣わした本人の代りに語ったり、行動したり、契約を結んだりする全権大使のような立場を指している。へブル語では「シャリアフ」という言葉であるが、ユダヤ人の記録を見ると、「シャリアフ」はその遣わす者と同等の権威を持つことがわかる。つまり、使徒として任命されたならば、その者は、遣わした本人と同じ権威を持つという意味になる。
この「使徒として召された」という言い方は、「正式にキリストの代理人となるように任命された」という意味なのである。もう一つ昔のユダヤの話があるが、ある主人が長い旅に出る時に、自分の一番偉いしもべを「シャリアフ」として任命して出かけた。2年程して戻って来たら、妻はいなかった。シャリアフがその主人の妻を離婚させてしまったというのである。それほどに、シャリアフは本人の代りに権威を持って行動できる者なのである。奴隷であるのに、主人と同等の権威を法的に与えられている者なのである。
パウロはキリストの「シャリアフ(アパステロス)」である。その意味は、キリストの正式な代表であって、パウロが語る言葉を私たちはキリストの言葉として受け入れなければならないというものである。パウロが、正式に行なうことはすべて主イエス・キリストが行なったのと同じこととして受け取らなければならないのである。即ち、使徒が、キリストの御名において行なったことはすべて、主イエス・キリストがパウロを通して行なったことであると理解すべきなのである。ローマの教会の人々は、最初からパウロがキリストの代理人であって、その権威を持って彼らに語りかけており、それ故にパウロの言葉はキリストの言葉として受け入れられるべきであることを知らなければならないのである。
「使徒として召された」ということは、神が、私に、この責任を与えてくださったのだという宣言である。「この責任を私は自分で勝手に持ったのではない。だから、私がこの手紙を書く時に、ただ個人として書いているのではない。主イエス・キリストに任命された使徒として、キリストの権威をもってあなたがたに神ご自身の御言葉を宣言するのである。私は、神の預言者である。間違いのない純粋な御言葉を人々に宣べ伝える者である」という認識をはっきりともってパウロはこの手紙を書いている。この手紙を読む人達もその同じ認識をもって神からのものとして受け入れなければならない。この手紙をただパウロから受けたものとして考えてはならない。神が、パウロを通して私たちに与えてくださった御言葉、命令なのである。「使徒」を拒むことは、彼を遣わした御方を拒むことになるのである。
パウロがこの手紙を書いたのは紀元55年頃にコリントに滞在していた時であったと思われているが、そうであれば、それはパウロがクリスチャンになってから25年経っていることになる。パウロが救われたのは、主イエス・キリストが復活して天に昇られてから1〜2ヶ月後のことであった。パウロの歳は主イエス・キリストとほぼ同じであった。大ざっぱに言えば、彼が救われたのは30歳の時のことである。この手紙を書いた時はだいたい55歳くらいであったと考えられる。そういう意味で、パウロは成長したクリスチャンになっていて、深く御言葉について学び、理解し、使徒として、コリントに滞在している間に十分時間をかけて、使徒としてこのローマ人への手紙において、福音のことを深く説明して教会に書き送ったのである。その時に、自分が使徒として召されたことを言うだけではなくて、「福音のために、選び分けられた」と言っている。
これは最初の紹介の文章の最後の言葉になっている。福音のために選び分けられたということは、「生まれた時から、私は福音のために神に選ばれていたのだ」と言っていることになる(ガラテヤ人への手紙1章15節)。つまり、もう既に25年間福音のために働いているパウロは、ローマの教会に手紙を書く時に、「私は、キリストを信じる以前から、神に仕える者として選ばれて、そのように神に導かれて、福音のために働いてきた」と言っているのだ。当時のどの教会の中にでも、パウロに反対する者たちがいた。それで、パウロは自分を教会に紹介する時に、ここまで主イエス・キリストとの関係、教会全体における使徒としての立場、そして、生まれた時から福音のために働く者として選ばれて、今までずっとキリストのしもべとして働いてきたということを明確にする必要があった。
パウロは、キリストによって召されたその権威を明らかにすると同時に、神の御前に本当にへりくだった心をもって、この手紙を私たちのために書いているのである。この挨拶の僅かな数語をもってしても、その事を深く感じさせられるものである。この箇所の表現は、エレミア(エレミヤ書1章5節)とメサイアご自身(イザヤ書49章1節、5節)にこれと似た言い方があることをローマの人達に思い起こさせたに違いない。神の福音の働き人になるという唯一つの目的のためにのみ、神は初めからパウロの人生において働いておられたのだと、パウロは主張する。
続いて、パウロは注意を福音の性質と内容に移している(2〜6節)。ローマの人々がパウロのメッセージを真剣に受けとめてくれることが彼の挨拶の目的であることは明らかである。このメッセージは、メッセンジャーであるパウロの使徒としての権威の正当性を立証するものだからである。しかし、パウロの自己紹介の強調がどこにあるのかというと、それは「福音」という言葉にある。なぜそれがわかるのかというと、2節からずっと6節までの説明の全部が「この福音」という言葉に集約されているからである。「この福音のために、選ばれた」と言った後で、その福音とは何なのかということをパウロは深く、長く、強調して語っている。つまり、パウロは、自分を紹介することにおいても、自分の偉さを強調しているのではなくて、強調したいのは福音そのものである。しかし、自分が使徒であることは、どうしても明らかにしなければならなかった。パウロに反対している者たちがいるし、パウロの権威を認めず、パウロを憎んでいる人もいたからである。しかし、強調は福音にある。そして、手紙全体がこの挨拶の中にすでに含まれていると言ってもいい。ギリシャ的な手紙では絶対にこのような挨拶を書くことはない。
パウロは2節からのところで、福音について主に二つの根本的なことを私たちに伝えている。第一は、この福音は聖書の中で約束されていたということである。第二は、この福音はキリストについての福音である、ということである。パウロはこの二つの点をこの導入のところで強調している。これは、旧約聖書の預言者たちを通して神ご自身が以前に約束してくださったのと同じ福音である。そして、この福音の中心は、神の御子、イエス・キリスト、私たちの主である。福音についてパウロはこの二点を強調する。これはローマ人への手紙の中でパウロが長く深くそして一貫して取り扱っているポイントである。旧約聖書の中で約束されているということが2節のところで説明されている。「この福音は、神がその預言者たちを通して、聖書において前から約束されたものである」とパウロは言う。まず理解しなければならないことは、パウロの福音は新しいものではないということだ。
新約聖書を読めば気が付くことであるが、ユダヤ人にとっては、クリスチャンは異端者のようなものであった。ユダヤ教があって、そこからキリスト教が枝分かれして出てきたかのようなかんじになっている。事実ユダヤ人はそのような見方をしていた。パウロはそれと全く異なる見方をしている。旧約聖書の福音は、主イエス・キリストの福音と全く同じものである。その木から、ユダヤ教の方が出ていってしまったのである。主イエス・キリストの教会が木である。そういう意味で、パウロはガラテヤ人への手紙の中で「私たちこそアブラハムの子孫である」と言っている。
アメリカ人であれ、日本人であれ、中国人であれ、韓国人であれ、どの国の者であれ、主イエス・キリストを信じる者は神の子供であってアブラハムの子孫なのである。私たちは、アブラハムの本当の子孫である。キリストを信じる者は、神に養子とされて正式にアブラハムの子孫となった者であって、旧約聖書はそのキリストを信じる者に与えられているものなのである。旧約聖書はユダヤ人の書物で、新約聖書はクリスチャンの書物であるかのような考え方は聖書の中にはない。聖書は一つしかない。パウロの手紙も福音書も旧約聖書の継続である。パウロは、そのことをローマ人への手紙の中で強調して、深く教えている。
教えなければならないことは、当時のユダヤ教こそ聖書から離れてしまっているという点である。メサイアである主イエス・キリストは、ユダヤ人としてこの世にお生まれになったのである。そして、キリスト教の出発点はユダヤ人であった。そのユダヤ人がキリストを信じて救われた。教会の発祥はエルサレムにあった。エルサレムから教会は成長していった。しかし、異邦人にも福音は伝えられるという約束がアブラハムの契約の中にあって、旧約聖書の至る箇所にその約束がある。メサイアはユダヤ人のためというものではない。ユダヤ人を通して、全世界のために来られたのである。そのために、パウロはこの手紙の中でたくさんの旧約聖書の箇所を引用して教えるのである。自分が伝えている福音が旧約聖書に書いてある約束の成就であることを証明するためである。これが、ローマ人への手紙は聖書全体を解く鍵だと昔から言われる所以である。
旧約聖書に書いてある福音が、どのように主イエス・キリストにおいて成就したかをパウロはローマ人への手紙で説明している。ユダヤ教がその聖書の約束と成就を理解しないで、そこから離れてしまったということをもパウロは深く説明しなければならなかった。聖書を読んだことのない異邦人がクリスチャンになった時に読んだ聖書は旧約聖書であった。旧約聖書しかなかった。聖書はまだ書かれている途中であって、封印されてはいなかった。また、すべての教会に聖書があったわけではなかった。異邦人たちが初めて読んで学ぶ聖書は旧約聖書であり、しかも普通の異邦人たちはギリシャ語を通してしか読むことはできなかったと思われる。
ユダヤ人たちはへブル語を知っており、聖書を原文で幼い頃から読んでいるし、異邦人よりも深い知識を持っていた。それで、議論すれば異邦人のクリスチャンたちの方は混乱してしまう。ユダヤ人は、その異邦人のクリスチャンたちに対して、「パウロは間違っている。パウロは何も解っていない」と言ったりした。それで、パウロは、ユダヤ人と異邦人の関係、旧約聖書の約束とキリストにある新しい契約の関係を深く説明しなければ、神の教会の土台は築かれないのである。それで、ローマ人への手紙はパウロの書簡の中では最初の書簡ではないけれども、これは旧約聖書の教えと新約聖書の教えを結ぶものであるので、順序として書簡の中で最初に置かれているのである。
新約聖書では、歴史書としての四福音書と使徒行伝が最初にあって、ローマ人への手紙は次に位置している。この位置は偶然にそうなっているわけではない。旧約聖書と新約聖書を結ぶものとして、読む者が組織神学的に考えることができるように位置付けられている。それ故、この手紙がどんなに大切な書であるかを認識しなければならない。ローマ人への手紙を深く学ぶのでなければ、古い契約と新しい契約の関係を深く理解することはできない。それで、聖書全体をも十分に理解することもできなくなる。
はっきり言うけれども、今日の福音派の大きな問題の一つは、旧約聖書を何か昔の書物であるかのように、退職した聖書であるかのように横にしてしまっていることである。旧約聖書は、昔のユダヤ人のためのものであったかのように扱って、ほとんど無視して、「新約聖書は私たちのためのものだ」というような考え方になってしまう。これは実に大きな問題である。場合によっては、出版する時に、新約聖書だけを出版したりする。また、旧約と新約を一冊に印刷するにしても、創世記を1章1節をページ1にして、マタイの福音書の1章1節のところで再びページ1になっている。二つの書物が同じカバーの中にあるかのようなページの付け方になっているのである。
そんな筈はない。聖書は単一の書物なのだ。創世記でアブラハムに対して約束されたことは、出エジプトの時に成就した。そして、モーセ五書に書いてあることはダビデの時代に成就した。その時に、サムエルやダビデがいろいろ書き記して、それが当時の新約聖書として与えられた。更に年月が経ってから預言者たちによって書き記されたものがまた当時としては新約として与えられたのである。それからしばらくは預言者がいなくなったが、またエゼキエルなどの時代に預言者が現われてその当時としての新約聖書が与えられた。その後、400年間のギャップがあって、また新しい新約聖書が与えられたのである。それを、毎回1ページ目から数えることはしなかったのである。聖書は一冊の単一の書物であるという認識は、今日非常に欠けているのである。パウロは、そのことをローマ人への手紙において、明確に昔の教会の人々に教えようとしていたが、未だに教会はそのポイントを十分に理解していないのである。
聖書を、あたかも二つの書物であるかのように決して考えてはならない。神が、預言者たちを通して約束してくださったことは、キリストにおいて成就されたのである。それ故、僅かな挨拶の言葉の中で、パウロは、預言者の言葉がまことに神ご自身の言葉であるという信仰告白をしている。なぜなら、神の約束は預言者たちの言葉によって成っているからである。預言者は、いわば神が使っている筆のようなものであり、神が用いている手段である。書かれている事は神の御言葉であり、神の宣言、神の約束である。また、古い契約と新しい契約が連続したものとなるように、キリストは旧約聖書のすべての約束を成就させたという信仰告白をしている。それは、旧約聖書で約束されていた福音と新約聖書で約束された福音が不可分な単一の福音だからである。
このようにパウロが主張する時、明らかに聖書の無謬性を主張している。神が、預言者たちを通して、その聖なる書物を通して、約束しておられるのである。ここに、御言葉に対するパウロの理解をはっきりと見ることができる。創世記から黙示録までの聖書の一貫性は、強調されなければならないあまりにも重要な真理なのである。今日のように、旧約と新約に聖書が二つの別の本に分けられているのを見たら、パウロは愕然としたであろう。彼は、旧約と新約を二つの別な宗教として実質的に見ている今日の福音派の考え方を叱責し、それに反対したはずである。パウロが、ユダヤ人にも異邦人にも同様に益となるようにと、このローマ人への手紙において証明している事柄は、モーセもイエスも恵みによる救いという同じ福音を教えたということなのである。パウロの時代のユダヤ人の問題は、彼らが新しい契約の代りに古い契約に従ったということではない。彼らは、古い契約から既に離れていたために新しい契約をも拒絶した、ということなのである。
神が約束した福音について考える時、実に実に旧約聖書の中にはたくさんの教えがある。パウロは、ローマ人への手紙の中でそのことを宣べている。アブラハムの契約は福音の約束である。ダビデに与えられた契約は福音の約束である。モーセに与えられた契約は福音の約束である。広い意味においても旧約聖書に書かれてあることは福音の約束であるが、同時に、細かいことにおいてもそうである。アダムとキリストのことをパウロはローマ人への手紙の5章で話している。アダムは、キリストを預言するような人物であったとパウロは説明する。主イエス・キリストについての細かい預言も旧約聖書の中にはたくさんある。数え方にもよるが、200〜300箇所以上もある。
キリストが生まれる千年も前に、ダビデは、主イエス・キリストがどのような死に方をするかを詳細に詩篇22篇の中で預言している。イザヤは、キリストが生まれる700年も前に、その死に方をイザヤ書53章で宣べている。ダニエルは、キリストが生まれる500年以上も前にキリストが何時誕生するかを明確に預言しているし、ミカは、キリストがベツレヘムで生まれることを預言している。キリストがユダ族であることは創世記49章のヤコブの預言の中にあるし、モーセは申命記の中でキリストを預言者として宣べている。旧約聖書の中には非常に詳細に渡って数百カ所においてキリストについての預言がなされている。その全部が主イエス・キリストにおいて成就されたのを見る時に、この福音を与えてくださったのは神ご自身であることを疑うことはできない。神の導きのすばらしさ、恐ろしさ、その導きの偉大さを見ることができるはずだ。ずっと旧約聖書の御言葉を通して神は私たちにその福音を約束してくだり、成就してくださったのである。その福音の中心は、主イエス・キリストご自身である。
すべては「御子に関すること」である。その約束のすべてはただ主イエス・キリストに尽きる。福音の中心、そして焦点は、主イエス・キリストである。このポイントは、比較宗教の観点からみれば非常に大切なポイントであり、昔の宗教とは全く異なるものであることをパウロはここで宣言している。キリスト教は、他の諸宗教や哲学と比べて著しく人格的である。私たちは、何かの教えや教理に従うのではなく、人格なる御方に従うのである。普通の昔の宗教は、例えば儀式についての教えとか、真理を得る方法とかについての教えである。救い主、人格のある救い主、神が人となって私たちを罪から救うということを中心にして教える福音というものは、聖書のみにある。仏教学者である鈴木大拙は「釈迦牟尼が実際に存在しなかったとしても問題ではない」と言っている。釈迦牟尼自身はどうでもよいのであって、大切なのはその教えであるという。モハメッドはただの預言者に過ぎない。「私は救い主だ」ということをモハメッドは言わない。キリストのみが、御自身を救いへの唯一の道であると宣言している。「わたしは道であり、真理であり、命である。だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない」と(ヨハネの福音書14章6節)。このような宣言は、他のどの宗教にもない。福音の中心はキリストご自身である。
キリストは、受肉した神であられる。半分神で半分人間というようなものはどの宗教でもみられるものだ。エジプトの王パロも半分神で半分人間と考えられた。神道でも、天皇は半分が神で半分は人間だと思われている。他のいろいろな宗教において、これはごく普通のことである。しかし、主イエス・キリストは、完全な人間であり、人間の性質としては私たちと何も変わらない。100%人間である。同時に、キリストは100%神であられる。神の性質と人間の性質を両方とも完全に持っておられる御方である。それゆえ、キリストは、神と人間の間に立って和解の働きをすることのできる唯一の御方なのである。そのキリストは、神のすべての約束を一つ残らず完全に成就させた。それゆえ、福音の中心は、主イエス・キリストでなければならない。
私たちの信仰と生き方の全体は、際立って主イエス・キリストご自身に結びつけられているものである。だから、私たちの毎日の生活が福音を中心とする生活であるならば、主イエス・キリストを中心とする生活でなければならない。主イエス・キリストを中心とする生活とは、キリストの奴隷、キリストのしもべであることを常に認識する生活である。――私たちのほとんどは大人になってからクリスチャンになった者である。自分の人生においても、私たちは神の不思議な導きを思わされるものである。本当は、生まれる前から、主イエス・キリストを信じる者として選ばれていた者なのである(エペソ書1章11節)。神は、実に不思議な導き方で私たちを導いてくださったのである。パウロも、復活前のキリストに会ったことはなかった。同じ時代に生きていたので会ってもおかしくないのに、会うこともなく、キリストが復活してから、その復活したキリストを迫害するためにダマスコへ向かう道でキリストに会うのである。人間が計画するならば、そんな計画は立てなかったであろう。三年間キリストと一緒に歩んだ方がいいではないかと思ったに違いない。神の導き方、神の摂理は、私たちにはとても予測できない不思議なものである。私たちもみな、そのことを経験している――。主イエス・キリストを中心とする生き方とは、神の不思議な導きを自分において深く覚えて、主イエス・キリストのしもべとして生きるためにこの世にいるのだという認識を持って生活することである。「私の生活の中心は主イエス・キリストそのものである」ということを毎日覚えて生活を送るのである。
しかし私たちは、すぐにもそのことを忘れてしまいがちな罪人である。すぐに自己中心になってしまう。自分は奴隷だということを忘れてしまいがちなのである。覚えるにしても、それは不平を漏らす時に覚える場合が多いのではないだろうか。「私は奴隷に過ぎないのか」と文句を言う。自分のしたいこと、自分の思うとおりに行かないと、「何故なのか。どうしていつもこうなのだ」とぶつぶつ呟く。パウロは、「自分はキリストの奴隷である」と宣言する時に、誇りをもって宣言しているのだ。「私のいのち、私の人生、私のすべては神のものである。神が導く。神がすべてを決めてくださる。私の未来は、神の定めによるものである。生きるにしても死ぬにしても、すべて神が導いてくださる」という、奴隷としての正しい認識を持って毎日の生活を送る者は、主イエス・キリストを中心にして生きている者である。
すべてのクリスチャンはパウロと同じようにキリストへの献身の生活を送るように召されている。確かに召命は様々であり、使徒として召された者は少ないが、すべてのキリスト者はキリストのしもべとなるように召されていることを覚えていただきたい。キリストへの個人的な献身を失うとき、またキリストへの愛が冷めるとき、私たちはキリスト教信仰の生命力を失い、キリストの福音の真の意味から離れてしまうのである。願わくは私たちがキリストにしっかりと結ばれて離れず、キリストを「主」また「王」と呼ぶことを喜ぶだけでなく、キリストへの私たちの信仰がすべての人の目に明らかである生き方ができるように祈る。
私たちは、毎週聖餐式を行なう時に、主イエス・キリストご自身を中心にするところに戻る機会を神から与えられている。聖餐式を受ける時に、自分の罪を悔い改めて、その罪を捨てて、「私は主イエス・キリストの奴隷として生きます」という心を新たにするものである。そこに戻るのである。罪人であるので、自分が何者なのか、何のために生きているのかを忘れてしまいがちだが、聖餐式の時に、罪を悔い改めてキリストのところに戻るのである。キリストと共に生きるという心を新たにするのである。そのことを覚えて一緒に聖餐式を守りたい。
――1998年6月7日――
著 ラルフ・A・スミス師
編集 塩光明長老
著者へのコメント:shiomitsu@berith.com