ローマ人への手紙10章1〜4節
1 兄弟たち。私が心の望みとし、また彼らのために神に願い求めているのは、彼らの救われることです。2
私は、彼らが神に対して熱心であることをあかしします。しかし、その熱心は知識に基づくものではありません。3
というのは、彼らは神の義を知らず、自分自身の義を立てようとして、神の義に従わなかったからです。4
キリストが律法を終わらせられたので、信じる人はみな義と認められるのです。
ローマ人への手紙10章5〜10節
5 モーセは、律法による義を行なう人は、その義によって生きる、と書いています。6
しかし、信仰による義はこう言います。「あなたは心の中で、だれが天に上るだろうか、と言ってはいけない。」それはキリストを引き降ろすことです。7
また、「だれが地の奥底に下るだろうか、と言ってはいけない。」それはキリストを死者の中から引き上げることです。8
では、どう言っていますか。「みことばはあなたの近くにある。あなたの口にあり、あなたの心にある。」これは私たちの宣べ伝えている信仰のことばのことです。9
なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われるからです。10
人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。
ローマ人への手紙10章9〜13節
11 聖書はこう言っています。「彼に信頼する者は、失望させられることがない。」12
ユダヤ人とギリシヤ人との区別はありません。同じ主が、すべての人の主であり、主を呼び求めるすべての人に対して恵み深くあられるからです。13
「主の御名を呼び求める者は、だれでも救われる。」のです。
ローマ人への手紙10章14〜21節
14 しかし、信じたことのない方を、どうして呼び求めることができるでしょう。聞いたことのない方を、どうして信じることができるでしょう。宣べ伝える人がなくて、どうして聞くことができるでしょう。15
遣わされなくては、どうして宣べ伝えることができるでしょう。次のように書かれているとおりです。「良いことの知らせを伝える人々の足は、なんとりっぱでしょう。」16
しかし、すべての人が福音に従ったのではありません。「主よ。だれが私たちの知らせを信じましたか。」とイザヤは言っています。17
そのように、信仰は聞くことから始まり、聞くことは、キリストについてのみことばによるのです。18
でも、こう尋ねましょう。「はたして彼らは聞こえなかったのでしょうか。」むろん、そうではありません。「その声は全地に響き渡り、そのことばは地の果てまで届いた。」19
でも、私はこう言いましょう。「はたしてイスラエルは知らなかったのでしょうか。」まず、モーセがこう言っています。「わたしは、民でない者のことで、あなたがたのねたみを起こさせ、無知な国民のことで、あなたがたを怒らせる。」20
またイザヤは大胆にこう言っています。「わたしは、わたしを求めない者に見いだされ、わたしをたずねない者に自分を現わした。」21
またイスラエルについては、こう言っています。「不従順で反抗する民に対して、わたしは一日中、手を差し伸べた。」