95.03.05. 三鷹福音教会 ラルフ A. スミス牧師 講解説教
ラルフ・A・スミス師の講解説教を要約し補完する「三鷹福音教会・週報」からの転載です。
パウロによるエペソ人への挨拶
パウロによって書かれたエペソ人への手紙は、ローマ人への手紙と同様に、事実上の神学に関する小論である。ピリピ書ほど個人的ではなく、ガラテヤ書やコロサイ書のように神学的論争を扱うものでもない。コリント人への二通の書簡のように教会生活における倫理の問題を扱ってもいない。テサロニケ人への手紙は終末論の教理とその生活における適用を取り扱う。それらの一方で、エペソ書は救いに関する教理、救済論に焦点を当てている。宗教改革者らによってキリスト教神学の完全なる概要と考えられているローマ書ほど救いを幅広く取り扱ってはいないとは言え、エペソ書は、我々の信仰理解にとって重要な、教会論との関わりにおける救済論という独自の強調点を持っている。この書の全般的な構造もまたローマ書を彷彿とさせる。最初の3章はローマ書における11章までの箇所と同様に教理を扱っており、その後で、これもまたローマ書と同様に、唐突とも言える、しかし論理的な、実生活への話の転換がある。
使徒パウロ
ローマ時代の手紙の挨拶というものは、現代のアメリカにおける書き方とは構造的に異なっていた。我々の手紙の書き方は、差出人の名前で終わるが、古代ローマにおいては、冒頭で差出人が自分は何者であるかを述べる。それで、パウロの書いた様々な書簡の最初の言葉は、ヘブル書の例外を除き、いつも「パウロ」なのである。パウロの書いた教会宛の手紙に共通しているのは、パウロが、自ら神の召命による使徒であることを強調している点だ
(ローマ、1&2コリント、ガラテヤ、エペソ、コロサイ) 。そうなっていないのは三書簡のみである。ピリピ書では、ただ神のしもべとしてだけふれており、テサロニケの手紙では、シルワノ、テモテと共に、名前だけを連ねている。
ここから、パウロが使徒の権威を強調する時には何かの理由があったことを我々は推測すべきであろう。パウロの権利が反対者によって挑戦を受けたことを我々は知っている。そして、おそらく彼が書いたような正式な手紙をエペソ人たちに書き送るには、少なくとも特別な霊感を主張する根拠を明白に述べておく必要があったのだろう。
そして、このことについて疑いの余地はあるはずがない。使徒の権威とは、まさに特別な霊感についての主張であった。パウロはこのことを、コリント人たちに宛てた時ほど明白に述べたことはなかったろう。「自分を預言者、あるいは、御霊の人と思う者は、私があなたがたに書くことが主の命令であることを認めなさい。もしそれを認めないなら、その人は認められません」(1コリ14:37-38)。使徒とは、全権を委ねられた大使のようなものだ。キリストの代理として語り、かつ行うことができるよう特別に神の御霊によって油注がれた者であった。使徒としての権威をもって何かを語り、また行う時、彼らは自分が代表しているメシアの全権をもってそうしたのである。彼らの行った奇跡も、それによって彼らがメシアの代理として確認されるための手段であった。すなわち、彼らはメシアが行われたと同様のみわざを行った。ひとたび聖書の正典が完成し、紀元70年に神の御国が古いイスラエルから新しイスラエルへと移されると、しるしのための奇跡や使徒の権威はもはや不要となった。神は今でも時おり例外的に、特別な賜物が与えられている教師を与えたり、また御旨に適う時には奇跡によって我々の祈りに答え給うこともあるが、我々はもはや、しるしのための奇跡や教えにおいて間違いの全くない教師などが与えられていた初代教会の時代に生きているのではない。
エペソの聖徒、キリストにある忠実な者たち
パウロはこの手紙を受け取る人々を二つの大切な言葉で表現する。彼らはまず何よりも「聖徒たち」である。聖書の中で「聖徒」という言葉は、現代において使われているような「例外的にきよい人物」という意味ではない。聖徒とは、神の聖所に近づくことができるという特権を楽しめる人のことだ。古い契約の下でも、神の民は聖徒と呼ばれるが、彼らには文字通りの意味で至聖所に近づくことはできなかった。エデンの園から追放されて以来、人間は聖所に再び入ることは禁じられた。イスラエルの大祭司ですら、非常に特別な状況を除いて聖所に入ることは許されておらず、その特別な状況下であっても、近づくことができるという特権よりも、神から隔てられているという事実の方が強調されていた。旧約時代における本当の意味での「聖徒」とは、主の園である聖所を守る守衛としての人間の地位を受け継いだケルビムであった。
しかし、キリストにあっては、ユダヤ人も異邦人も、神との和解が与えられ、我々は今や大胆に天のまことの至聖所に入ることができる。たとえ我々が未だ真の聖さというものを身に付けるには程遠い者であっても、キリストにあって我々は聖い者と見做される。神は、我々のために取り成しをするために御自身の右に立っておられる我々の代表者なるお方を通して、我々をご覧になられる。キリストにあって、また神の御恵みによってのみ、我々のような者ですら聖徒と呼ばれ得るのである!
パウロがエペソの人たちについて用いるもう一つの呼び名は、我々がキリストにある地位を主張するだけでは十分ではないことを思い起こさせてくれる。エペソ人たちは、「キリスト・イエスにあって忠実な者」と呼ばれている。神の律法の前における彼らの客観的地位は、神の御臨在の面前に出ることが許された聖者、というものであったが、彼らの日常生活はその地位と矛盾するものではなかった。彼らの主であるキリストに対し、彼らは忠実であり、ある人々のように、キリストにある信仰を告白していながら、次のように訊ねられことがなくて済んだ。「なぜ、わたしを『主よ、主よ。』と呼びながら、わたしの言うことを行わないのですか」(ルカ6:46)。
御恵みと平安
挨拶の後半の言葉は、パウロがこの書簡を受け取る人々に投げかけた祝福の言葉である。「恵み」はキリスト者にとって特別な言葉だ。我々の救いのすべては神の御恵みに依存している。我々には何一つ功績がないにも関わらず神が我々を選び給うた時、その選びの御恵みよって我々は救われた。神が御自身の完全なる愛をもって御子を与え、我々のために死に渡され給うたゆえに、我々はキリストの死にあって御恵みにより救われたのである。神の聖霊が我々の心を開き、真理を受け入れることができるようにしてくださった時――そしてこの聖霊の働きなしに、我々は罪から救い出されることはない――、我々はただ御恵みによってのみ救われたのである。また、キリストが我々のために天で取り成し、神の御霊が我々の心のうちに働いて、義と真理の道を歩むよう保たれるので、我々は日毎に御恵みによって救われている。「恵み」とは、最もキリスト教的な挨拶なのだ。
「平安」とは、契約の祝福を豊かに表わす言葉である。パウロは「あなたがたが戦争や戦いから救い出されますように」とは言わない。平安とは完全無欠なことであり、神によって約束されたすべてのものが調和をもって豊かに与えられることである。平安は、言うまでもなく、神との平和、心の平和、他の人たちとの関係における平和をも含む。しかしそれは、物質的祝福やそれを楽しむ機会をも含んでいるのである。
ところで、我々がここで見ているものはキリスト教文化なのだ。挨拶は文化の一部であり、ほとんどの社会で挨拶の言葉は何かしらの宗教的意義を持つ。私が間違っていなければ、英語の
"hello" という挨拶の起源を知る人はもはやだれもいないが、"good-by" は、スペイン語の "Adios" やフランス語の
"Adieu" と同じように、「神があなたと共にいますように」という意味である。ヨーロッパにおけるキリスト教文化は、キリスト教の挨拶を生み出した。それはちょうど今日のユダヤ教文化が「シャローム」、すなわち「平安」という意味のユダヤ教の挨拶を保持しているのと同様である。我々にとって、周りの世界とは異なる挨拶を持つことはごく当たり前のこととなる。それは、我々の生活全般について言えるように、我々の挨拶も、神にある我々の信仰と、神の祝福と御恵みが互いに与えられるようにという願いとを表現するはずだからだ。
パウロは、恵みと平安が一つの源、「私たちの父なる神と主イエス・キリスト」から来ると言う。すべての祝福の源として、キリストを御父と共にこの箇所で並べることによって――ギリシャ語では一つの前置詞
ajpo(「から」) が両方の御位格にかかっている――、パウロはキリストと御父が等しくあられるという信仰を含意している。パウロのような神学的訓練を受けた者が、かりにもキリストが神性を有すると見做すことなど考えられないことであった。しかしパウロは、当然の如くキリストを御父と等しい地位に置く。それはパウロの礼拝と賛美という習慣から来るものである。我々が救いについて負うところは三位一体なる神の御恵みであり、我々は御父、御子、御霊から平和を成す契約の祝福の満たしを求めるのである。