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    ローマ人への手紙1章8〜13節


    1:8 まず第一に、あなたがたすべてのために、私はイエス・キリストによって私の神に感謝します。それは、あなたがたの信仰が全世界に言い伝えられているからです。

    1:9 私が御子の福音を宣べ伝えつつ霊をもって仕えている神があかししてくださることですが、私はあなたがたのことを思わぬ時はなく、

    1:10 いつも祈りのたびごとに、神のみこころによって、何とかして、今度はついに道が開かれて、あなたがたのところに行けるようにと願っています。

    1:11 私があなたがたに会いたいと切に望むのは、御霊の賜物をいくらかでもあなたがたに分けて、あなたがたを強くしたいからです。

    1:12 というよりも、あなたがたの間にいて、あなたがたと私との互いの信仰によって、ともに励ましを受けたいのです。

    1:13 兄弟たち。ぜひ知っておいていただきたい。私はあなたがたの中でも、ほかの国の人々の中で得たと同じように、いくらかの実を得ようと思って、何度もあなたがたのところに行こうとしたのですが、今なお妨げられているのです。

    98.06.28. 三鷹福音教会 ラルフ A. スミス牧師 講解説教
    三鷹福音教会の聖日礼拝メッセージおよび週報をもとに編集したものを掲載してあります。


    パウロの感謝と祈り

    1章8〜13節

    まず第一に、あなたがたすべてのために、私はイエス・キリストによって私の神に感謝します。それは、あなたがたの信仰が全世界に言い伝えられているからです。私が御子の福音を宣べ伝えつつ霊をもって仕えている神があかししてくださることですが、私はあなたがたのことを思わぬ時はなく、いつも祈りのたびごとに、神のみこころによって、何とかして、今度はついに道が開かれて、あなたがたのところに行けるようにと願っています。私があなたがたに会いたいと切に望むのは、御霊の賜物をいくらかでもあなたがたに分けて、あなたがたを強くしたいからです。というよりも、あなたがたの間にいて、あなたがたと私との互いの信仰によって、ともに励ましを受けたいのです。兄弟たち。ぜひ知っておいていただきたい。私はあなたがたの中でも、ほかの国の人々の中で得たと同じように、いくらかの実を得ようと思って、何度もあなたがたのところに行こうとしたのですが、今なお妨げられているのです。

       ローマ人への手紙1章8節から17節までの箇所は、感謝の祈りと、手紙への導入である。パウロは感謝から始めて、続いて祈りがあってから自然に主題について話しているので、この箇所をローマ人への手紙への導入と考えてよいと思う。細かく時間をかけて学ぶべきことも多いが、全体の流れをも失わないように注意しながらこの箇所を学びたいと思う。古代の手紙は通常、受取人の健康と繁栄のための祈りを伴う挨拶から始まるのが普通であった。パウロは、当時の典型的な手紙のスタイルを用いつつも、非常に異なった内容あるものに変えている。文化的な規範を採用し、しかもそれを変えて、神の御国のために用いることができるものにする。この感謝から始まるパウロの祈りもその実例の一つであり、私たちが古代の手紙に見出すどんなものよりも遥かに緻密で個人的であり、しかも神学的に重要なものである。 

     

    神に感謝せよ

       パウロの手紙は決まって、挨拶の後、感謝の言葉とともに本文に入るが(コリント人への第一の手紙1章4節以下、ピリピ人への手紙1章3節、コロサイ人への手紙1章3節、テサロニケ人への第一の手紙1章3節、テサロニケ人への第二の手紙1章3節、テモテへの第一の手紙1章12節、テモテへの第二の手紙1章3節、ピリピ人への手紙1章4節)、賛美が感謝の替わりに充てられたり(コリント人への第二の手紙1章3節以下、エペソ人への手紙1章3節以下)、或は理由はかなり異なるけれども、それが全くないガラテヤ人への手紙とテトスへの手紙のようなものもある。ここにあるのは形式上の習慣や単なる話し方の癖ではない。これは、偉大な使徒の心の中の洞察なのである。

       パウロの心からは感謝がにじみ出ている。パウロの感謝の祈りについて、基本的に三つのところを見たいと思う。まず8節のところで、パウロは感謝の祈りを神にささげている。「まず第一に、あなたがたすべてのために、私はイエス・キリストによって私の神に感謝します」と言う。パウロの手紙には必ず感謝の言葉がある。それは当時の手紙では珍しいものであった。パウロの祈りは簡単な一言のものではなくて、受け取る者たちのクリスチャンとしての成長のために祈っている。パウロの感謝と祈りの内容は、いつも手紙全体に係るものであった。当然といえば当然のことである。誰かにメッセージを伝えようとするときに、そのメッセージが本当に伝わるように祈る筈である。しかし、これはあまりにも普通ではない挨拶なので、読む人々には驚きであった。このことによって、パウロは、すべての細かい所にクリスチャンの信仰を深く適用していることがよくわかると思う。

       その感謝の祈りを読む時、パウロ自身の信仰を見ることになる。パウロはローマの教会の信仰を聞いた時に、すぐに神に感謝をささげている。常に感謝している。そして、繰り返し感謝している。どんなに感謝にあふれているのかが実によく出ている。パウロ自身の生きた信仰をここに見ることができるわけである。どこかに教会があって、その教会がはっきり信仰に立っていて、神に従って生きているということを聞くと、パウロの心は感謝にあふれるのである。少しでも、良いことがあれば、パウロの口から感謝が溢れ出るのである。言い方はおかしいかも知れないが、感謝の機会に対してパウロはとても敏感である。信仰の薄かった時の弟子たちは、何かあるとすぐに慌てたり、狼狽したり、愚痴をこぼしたり、いつも何か暗い言葉が口から出てしまう。

       イスラエルも実にそのようなものであった。何回も何回も繰り返し神に向かってつぶやくのである。小さな問題であっても、いつもつぶやくばかりであった。エジプト軍に追いつかれた時よりもずっとちっぽけな問題にぶつかっても、「ああ。私たちはここで死ななければならないのか」と叫んでしまうのだ。イスラエルは、試練に対して敏感であるが、感謝に対しては実に鈍いものであった。どんな試練でも、少しでも痛みがあると、泣き叫ぶのである。そのようなイスラエルとは実に対比的な姿を私たちはパウロにおいて見ることができる。感謝の機会があれば、パウロはいつも感謝をささげたのである。感謝すべきことがあればすぐ気が付く心を持っていた。感謝をささげる機会を常に探し求めている人物、容易に感謝へと促される人物であった。そのように、基本的に感謝に溢れているので、どんな事に出会ってもパウロの口からは感謝の言葉が出てきてしまう。このパウロの信仰は、本当のクリスチャンの姿を表わすものである。

       パウロの心は、「御霊に満たされなさい」というエペソ人への教えの意味を例証している。即ち、「詩と賛美と霊の歌とをもって、互いに語り、主に向かって、心から歌い、また賛美しなさい。いつでも、すべてのことについて、私たちの主イエス・キリストの名によって父なる神に感謝しなさい」(エペソ人への手紙5章19〜20節)という教えがそのままパウロの心なのである。クリスチャンの日常の会話は愚かな話や下品な冗談ではなく、感謝の香りを放っているものでなければならない。日常的な会話の癖は心を表わし、心を形作るものであるからだ。私たちも荒野のイスラエルのように不信仰にも愚痴をこぼしやすい者である。

       神は私たちを愛しておられるので、私たちは祈りたいことを祈り、願いたいことを願って、祈りを神にささげることができる。しかし、不信仰な心のままに望むことを神に要求するだけで、神の慈しみを否定するつぶやきを混ぜた祈りを荒野のイスラエルのようにささげることはできない。すべての願いがその目的地に到達するように、感謝の翼にのせて主に向かって送られるべきである(ピリピ人への手紙4章6節)。感謝は祈りに活力を与える(コロサイ人への手紙4章2節)。それは、その人のうちに神の言葉が深く根差している人の自然な表現であり、心から出る絶え間ない流れなのである(コロサイ人への手紙2章7節)。

       パウロがそうなれるのは、試練を知らなかったからだろうか。決してそんなことはない。私たちの誰もが遭ったこともない、そして生涯遭うこともないような大変な試練を、パウロは立て続けに受けていた。実際に肉体の苦痛を覚える迫害もたくさん受けた。食べる物がなく、着る物もなく、ひどい寒さに凍えながら宣教の旅を続けた。あらゆる試練と困難の連続の中にあるのに、常に神に感謝をささげていたのである。若い30代の時だけでなく、40代も、50代になっても、パウロの信仰は変わらなかった。そこまで辛い、私たちの想像を遥かに越える辛い生活をしなければならなかったパウロの口から、愚痴はただの一度も出てこない。大変な試練の中で、「私の受けている試練は本当に大変なものだから、何とかして私を助けてくれ」というような文句は一度も口にしない。「試練から逃れることが出来るように、ぜひ私のために祈ってくれ」と言った事もない。

       ピリピで伝道した時が典型的な例といえるが、想像を絶するほどの試練にあっても、彼は神を讚称えて感謝するのである。福音を伝えていたパウロは、逮捕されて、鞭打たれて、なじられて、獄の奥の穴に投げ込まれた。昔は親切に人権について説明したりしてから投獄するようなことはない。いきなりぶって、け飛ばして、鞭打ってから、暗い穴に投げ込んだのである。パウロとシラスはそのような扱いを受けた間にも、続けて神に感謝をささげていた(使途行伝16章22〜25節)。あまりにも感謝に溢れているので、ある教会ではパウロが試練に遭っているということを忘れてしまったようなので、パウロは「ちょっと待ってください。私も主のために試練に遭っていますよ」と説明しなければならないほどであった。コリント人への第二の手紙11章23〜28節でパウロは次のように語っている。

    彼らはキリストのしもべですか。私は狂気したように言いますが、私は彼ら以上にそうなのです。私の労苦は彼らよりも多く、牢に入れられたことも多く、また、むち打たれたことは数えきれず、死に直面したこともしばしばでした。ユダヤ人から三十九のむちを受けたことが五度、むちで打たれたことが三度、石で打たれたことが一度、難船したことが三度あり、一昼夜、海上を漂ったこともあります。幾度も旅をし、川の難、盗賊の難、同国民から受ける難、異邦人から受ける難、都市の難、荒野の難、海上の難、にせ兄弟の難に会い、労し苦しみ、たびたび眠られぬ夜を過ごし、飢え渇き、しばしば食べ物もなく、寒さに凍え、裸でいたこともありました。このような外から来ることのほかに、日々私に押しかかるすべての教会への心づかいがあります。

       もし私がこれほどの目に遭ったなら、神に向かって涙を流して「どうして私はこうまでされなければならないのでしょうか」と祈らずにいられないだろうと思わされる。投獄されて、ここまで酷い仕打ちを受けたら「どうか私がここから早く出られるように皆で祈ってくれ」というような手紙しか書けないかも知れない。しかし、パウロはそうではなかった。主イエス・キリストの御名のために迫害される特権が与えられていると言って感謝に溢れるのである。この感謝の心、感謝に溢れる信仰は、パウロのすべての手紙の中に溢れている。

       パウロの模範は私たちに次のことを教えてくれる。即ち、試練の中でも感謝があふれ(ピリピ人への手紙4章6節、使徒行伝16章25節)、すべての行ないを感謝の心をもって行ない(コロサイ人への手紙3章17節)、他のクリスチャンたちを励まして神に栄光を帰する方法として彼らに感謝を奨めるべきである(コリント人への第二の手紙4章15節、9章11〜12節)。これこそ、クリスチャンであることとクリスチャンとして生きることの意味なのである。この信仰を見るときに、私たちは、クリスチャンの有様とはこのようなものだということを深く認識すべきである。

       パウロは何について感謝しているのか、その感謝の内容を見るのも非常に大切である。それは神学的にも深いものである。神に感謝しているけれども、何を感謝しているのかというと、ローマの人々の信仰を感謝しているのだ。そして、後に出てくる恵みについての教えを彼らの一人ひとりが理解せざるを得ないような個人的な内容にしている。パウロの神学は明白である。そのことはローマ人への手紙の9〜11章迄で特に深く取り扱われているが、この感謝の言葉の中に彼の神学がよく表われている。換言すれば、パウロの神学は単に頭の中にあるのではなく、心の中に生きている神学だと言ってよい。父が私のために何かをしてくれた時に、私は友人に「ありがとう」は言わない。当然父に「ありがとう」を言う。同様にパウロは、感謝をささげるとき、感謝を捧げるべき御方に感謝をささげるのだが、その感謝の内容はローマの教会の信仰なのである。感謝は神御自身にささげられている。つまり、ローマの教会の信仰は神の働きによるものであって神から与えられたものだという神学がここにはっきりと表わされている。

       「神の主権」を信じるパウロの信仰が、祈りにおいて自然に表わされている。それが感謝に溢れる心につながるのだ。神の主権は、厳しくて恐ろしいようなものではなくて、私たちの毎日の生活に慰めと祝福を与えてくれる神の御恵みとして考えるべきだということを教えられる。ローマの教会の信仰は神の主権的御恵みの働きによって与えられたものだということを思う時に、パウロは心から神に感謝せずにおれない。ローマの信仰は全世界に言い伝えられているということをパウロは感謝している。その事実は、ただ単にローマに教会があるというだけの意味に止まらない。確かにローマに教会があることも感謝ではある。ローマの教会はパウロが行って始めた教会ではなく、ペテロや他の使徒がそこに行って始めたのでもなかった。ローマの教会がどのように始まったのかの詳細は知られていない。

       過越の祭りのためにペルシャやローマ帝国の各地からエルサレムに来た多くのユダヤ人たちは、エルサレムでペテロたちから福音を聞いてクリスチャンになったことが使徒行伝の2章に記されている。その中にローマから来たユダヤ人たちもいた。彼らがローマに戻って教会を始めたということも可能であるし、パウロの異邦人への宣教の結果としてローマの人が救われてローマに戻って教会を始めたということも考えられる。いずれにしても、ローマの教会は、キリストを信じた普通のクリスチャンによって始められた教会であるのは確かである。歴史の中で12人しかいない使徒の賜物を持っている人によって始められた教会ではなかった。私たちの教会の中の誰かが、仕事のためにどこかに移住しなければならなくなって、そこで福音を伝えて、それがその地で教会の源になるというようなものと考えてよいだろう。最初に2〜3家族が一緒に始めたのか、あるいはエルサレムから戻ってきた数人の信者が始めたのか、それは定かではない。このローマの教会はそのようにして始まったので、そこに教会があることだけでも、当然感謝すべき事であった。

       私たちも、旧ソ連時代のロシアに多くの教会が迫害されながらも神に忠実に仕えていると聞くだけでも、励まされて感謝せずにはおれない筈だ。東欧諸国、中国、アフリカなどでも、多くの教会が迫害されているが、そこに本当の信仰があって続けて神に従って生きていることを知らされる時に、私たちも感謝するのである。しかし、パウロはローマに教会がある事実だけを感謝しているのではなくて、彼らの信仰がはっきりとキリストに従う信仰であることをパウロは感謝している。同じように、先週読んだ16章19節でも「あなたの従順はすべての人に知られているので、私はあなたがたのことを喜んでいる」と言っている。ただ、信じているとか、教会がそこにあるということだけではなくて、その人々が従順であり、神に従って生きていることを喜んでいるのである。ガラテヤの教会についてパウロは感謝してはいない。ガラテヤ人への手紙の最初のところに感謝の祈りはない。その人々が信仰から離れつつあるからである。実にとんでもない問題を抱えているコリントの教会については、感謝はしているけれども、その人達の従順のために感謝するとは言っていない。彼らが神に従っているので喜んでいるというような言い方は、コリント人への手紙にはない。ローマの教会ははっきりした信仰をもって神に従っている教会であった。その従順の証は全世界にも言い伝えられて有名になっていた。そのことを知って、パウロは心から喜んで感謝をささげてローマの教会のために祈っているのである。

       このパウロの感謝にまず心を留めてほしい。このような信仰から、私たちは学ばなければならない。パウロがコリントの教会に「私に見習いなさい」と書き記しているように(コリント人への第一の手紙4章16節、11章1節)、パウロは私たちの信仰の兄のようなものである。常に模範として生きている。私たちは皆、パウロのようなクリスチャンになるように求めるべきである。クリスチャンとして成長するということは、パウロのような感謝に溢れる心を持つ者となることなのだということを、この箇所を読む時に見逃してはならない。

     

    パウロの誓い

       短いが深遠な感謝の言葉に続いて、9節から12節までのパウロの祈りを一緒に見ていきたい。13節もその祈りにつながっているが、まず9節と10節を見てほしい。

    私が御子の福音を宣べ伝えつつ霊をもって仕えている神があかししてくださることですが、私はあなたがたのことを思わぬ時はなく、いつも祈りのたびごとに、神のみこころによって、何とかして、今度はついに道が開かれて、あなたがたの所に行けるようにと願っています。

       ここに、質問せずにはおれないパウロの誓いが続く。ローマの教会の信仰を心から感謝して「どうしても、何とかして、ローマに行きたい」と、パウロは願っている。その祈りの中に目立って驚かされることが最初に出てくる。パウロは、自分がローマに行こうとしていることは「神が証してくださることだ」と言うのである。つまり、誓いをしているのである。このことは、後にもっと深くその神学的な意味を考えたいと思うが、このローマ人への手紙の中で、ローマの教会との関係においていったいどうしてパウロは誓いをしなければならないのかを考える必要があると思う。私が例えばアメリカに数ヶ月間戻っていて、皆さんに手紙を書くときに「あなたがたの信仰のことを覚えて、早く戻りたいと祈っている。その事は神が証してくださることだ」と書く必要はないのである。

       誓いは、何でもかでも誓うようなものではないのは皆さんにもよくわかると思う。特にクリスチャンの人生において誓いはめったにすることではない。人生の中で、誓いをするのは、毎週の聖餐式を除けば数回しかないであろう。結婚式の他には、裁判で法廷に立つ時くらいしかない。普通の毎日の生活の中で誓いをするようなことはめったにない。また、やたらあってはいけないものでもある。なぜなら、クリスチャンは誓いを日常的な事柄のように軽々しく行なってはならないと命じられているからである(マタイの福音書5章33節以下、23章16節以下、ヤコブの手紙5章12節)。

        なぜここで、パウロは誓いをしなければならなかったのか。ローマの教会の中にはパウロと彼の働きに反対するように影響を与えている者たちがいたのか、それとも、パウロに反対する考え方をする人達がローマ教会を訪れたりして他からの影響が教会の中に入ってきていたのか、理由は定かではない。しかし、パウロがローマの教会に行こうともしていないのだというような印象を何かの形でローマの教会は受けていたようである。それで、パウロの彼らに対する関心と、彼らを訪問したいという強い願いとを証しする必要性が現実としてあったのだと思われる。

       実際に、パウロはローマの教会のことを何年も前から知っていた。それは15章を見れば明らかである。何年間も行けるように祈っているというけれども、来てはくれない。待っても待っても来ない。皆さんにもこのような経験や覚えがある人は多いと思うが、ある人を訪ねたいと願っているのになかなか実現できない。何回も行こう行こうとするけれども、まだ一度も実現しないでいる。それで、相手は「あいつ、本当は来たくなんかないんだな」と誤解してしまうことがある。パウロも、ローマの人々がそのように誤解しないように、そして、反対する人に対しても答える意味で、誓いの言葉をもって語っているのだと思う。

       パウロが心からローマに行こうとしているのだということをはっきり知って、そこからローマのクリスチャンたちが励ましを受けるように、パウロは神への誓いをもって彼らに語っている。どうしてもパウロはローマに行きたい。それが祈りの内容である。ずっと祈り続けて、機会を待ち望んで、ローマに行こうとしていた。パウロのその心をローマの人々にははっきり知ってもらう必要があった。ローマでのパウロに対する反対の程度はこの書簡の多くの箇所でほのめかされているほどに深刻なものではあったが、それでもこの書簡全体が論争的と呼べるほどには深刻ではないことは明らかである。パウロは、反対者たちを名指ししたり、教会を悩ませているグループについて言及したりしてはいない。にも係らず、誓いをもって自分の意図を彼らに知らせなければならないほどの問題はあったのである。

     

    パウロのローマ訪問の計画

       次に祈りの三番目のところを見たい。即ち「ローマに行きたい」というパウロの計画について考えたい。どうしてパウロはローマに行きたいのか。それにはどんな意味があるのか。パウロがここで表現している切実な願い(11節)は、彼が同様の表現を用いている幾つかの手紙の箇所と比較されるべきである。パウロは幾つかの手紙の中で受取人に対して「何とか、あなたがたを訪問したい」というようなことを言っている。

       ピリピ人への手紙1章8節で、パウロはピリピの教会についての感謝の言葉の中で、どうしてもピリピの教会を訪問したいことを伝えている。ピリピの教会はパウロにとっては特別な意味を持つ教会であった。先の投獄の話もさることながら、激しい迫害の中からその教会は生まれ、迫害した者の一人である牢獄の看守が救われてクリスチャンになったということもあった。そんなピリピ教会はパウロの心をよく理解していた。非常に良い教会であり、パウロとはクリスチャンとして親しい交わりを持っていたことがピリピ人への手紙を読めば明らかである。その手紙の中で繰り返し出てくる言葉が「喜び」である。それで、パウロはどうしてももう一度ピリピの教会に行って交わりを持ちたかった。それは、親しい交わりの関係にある教会に対するパウロの心であった。

       また、テサロニケの教会に対しても「あなたがたに会いたい」と伝えている(第一テサロニケ書3章6節)。テサロニケの教会もはっきりした信仰を持っていた教会であった。偶像礼拝を捨ててキリストを信じるようになった教会であった。パウロがテサロニケの教会で奉仕した日数は非常に短いものであった。恐らく三週間くらいしかいなかったと考える学者もいるが、長くてもせいぜい三箇月でしかなかっただろう。その僅かな期間、パウロはテサロニケで自分の手で汗して働きながら福音を伝えた。パウロは「ただ神の福音だけではなく、私たち自身のいのちまでも、喜んであなたがたに与えたいと思ったのです。なぜなら、あなたがたは私たちの愛する者となったからです。兄弟たち。あなたがたは、私たちの労苦と苦闘を覚えているでしょう。私たちはあなたがたの誰にも負担をかけまいとして、昼も夜も働きながら、神の福音をあなたがたに宣べ伝えました。また、信者であるあなたがたに対して、私たちが敬虔に、正しく、また責められるところがないようにふるまったことは、あなたがたがあかしし、神もあかししてくださることです。また、...父がその子供に対するように、あなたがたひとりひとりに....命じました」とテサロニケの教会に話している(第一テサロニケ2章8-12節)。短い間しかパウロは滞在できなかったが、異邦人の教会で、教会として確かにいろいろな問題があった。異邦人である彼らにはまだどうしていいのか解らないような点が沢山あって混乱していたことがテサロニケへの手紙を読めば察しがつく。パウロは、その人々の所に戻って、彼らの信仰を励ましたかったのである。パウロの熱心はそこでも明らかである。

       他にも、テモテへの第二の手紙の1章4節にある。「私は、あなたの涙を覚えているので、あなたに会って、喜びに満たされたいと願っている」とパウロはテモテに書いている。この時も、パウロは牢獄につながれていて、自分の死期が近づいたことがわかっていたので、自分の愛する信仰の子であるテモテに最後にもう一度会って信仰を分かち合い、テモテを励ましたいと願っていたのである。それで、パウロの手紙の中では何回か「どうしてもまたあなたがたに会いたい。あなたがたの所に行きたいと願っている」と教会に書き送っている。それらの手紙は、非常に親しい相手に対するものであった。何故行きたいのかの理由はそれぞれに深いものがあり、中には個人的な事も含まれていた。しかし、会ったこともないローマの教会に対して、どうしてこれほどまでに会いたいと願ったのだろうか。常に祈りの中でローマのことを覚えて、感謝して、ローマに行くことを神に祈り求めていた。なぜ、そこまでローマに行きたいのか。

       既に見たように、パウロは異邦人に福音を伝えるために特別に神によって選び分けられた使徒である(ロマ書15章15節以下)。異邦人に御言葉を伝える重荷をパウロは強く深く感じていた。その異邦人の中心がローマであった。そこに行って、福音を伝えてローマの教会を励ますことは、神の御国全体の働きの意味において広い重大な意味があったのである。ローマの教会の信仰を励まして、強めて、それからスペインに行こうというのがパウロの計画であった。ローマの教会は他のすべての教会にもつながるものであった。

       事実歴史において、ローマの教会は強い教会となり、中心的なものとなり、はっきりと信仰に立って他の教会に励ましと祝福を与えた教会であった。後にちょっと問題の教会になってしまったけれども、何百年間もはっきりした信仰を守り続けたローマの教会は、キリスト教の歴史において重要なものであったのは否定できない事実である。その異邦人世界の中心であるこのローマの教会を励ますことは、御国全体のビジョンの中にあって異邦人に福音を伝える働きのためには極めて大切なことであった。軽い挨拶で済まされることではなかった。それで、パウロは神の御前で誓って、そのことを明確にしようとしているのである。この理由こそ、深くパウロの心を動かすものなのである。ローマ教会は1世紀の世界におけるその特別な場所柄のゆえに、パウロはこの教会に対して特別な負債を負っていた。

       しかし、それほどに大切な事であるならば、どうしてパウロはまだローマに行っていなかったのか。13節でパウロは「兄弟たち。ぜひ知っておいていただきたい」という強調の呼びかけをもって、「私は、あなたがたの中でも、他の国の人々の中で得たと同じように、いくらかの実を得ようと思って、何度もあなたがたのところに行こうとしたのだが、今なお妨げられている」と言っている。行く機会がまだ与えられていないけれども、ずっと行こうとしている。15章14〜23節の箇所を一緒に読みたい。

    私の兄弟たちよ。あなたがた自身が善意にあふれ、すべての知恵に満たされ、また互いに訓戒し合うことができることを、この私は確信しています。ただ私が所々、かなり大胆に書いたのは、あなたがたにもう一度思い起こしてもらうためでした。それも私が、異邦人のためにキリスト・イエスの仕え人となるために、神から恵みをいただいているからです。私は神の福音をもって、祭司の務めを果たしています。それは異邦人を、聖霊によって聖なるものとされた、神に受け入れられる供え物とするためです。それで、神に仕えることに関して、私はキリスト・イエスにあって誇りを持っているのです。私は、キリストが異邦人を従順にならせるため、この私を用いて成し遂げてくださったこと以外に、何かを話そうなどとはしません。キリストは、ことばと行ないにより、また、しるしと不思議をなす力により、さらにまた、御霊の力によって、それを成し遂げてくださいました。その結果、私はエルサレムから始めて、ずっと回ってイルリコに至るまで、キリストの福音をくまなく伝えました。このように、私は、他人の土台の上に建てないように、キリストの御名がまだ語られていない所に福音を宣べ伝えることを切に求めたのです。それは、こう書いてあるとおりです。「彼のことを伝えられなかった人々が見るようになり、聞いたことのなかった人々が悟るようになる。」そういうわけで、私は、あなたがたのところに行くのを幾度も妨げられましたが、今は、もうこの地方には私の働くべき所がなくなりましたし、また、イスパニヤに行くばあいは、あなたがたのところに立ち寄ることを多年希望していました.....

       パウロは、異邦人の中に福音を伝えようとする使命感と責任を強く覚えてローマに行こうとしているのは明らかであるが、ここに二つの問題がある。まず、他の誰もまだ行ったことのない所にパウロは行こうとする。他の人たちが築いた土台の上にパウロは建てようとはしない。まだ未開発の町に行くという原則をパウロは守っている。もう一つのことは、ローマに行く前に行かなければならない所が沢山あったということである。エルサレムからずっと小アジアの所に何度か巡回して福音を伝えなければならなかった。その基本的な働きが終わらなければイスパニア(スペイン)に行くことはできない。ローマは、イスパニアへ行く途中にあった。ローマを訪ねてからスペインへ行くことをパウロは何年間も計画して神に祈り求めていた。

       スペインへ行ってヨーロッパの野蛮人たちに福音を伝えなければならないが、ローマはその途中にあった。ローマ帝国もイスパニアの中に含まれていたけれども、ローマ帝国の中心的な大都市であるローマでまず福音を伝えてから、もっと北の方への宣教の旅に行こうと計画していたのである。帝国の中で政治的に中心的な町、そしてもっと重要な事は、商業的に中心的な町を訪れて、そこの教会を強化することであった。ローマの教会がしっかりした教会であることを15章14節でパウロは確信している。しっかりした教会であるけれども、更に教えを必要としている教会であることをパウロは悟って、更に彼らを励まして、更に強めて中心的な働きをするための基礎を堅固にする必要があった。それで何年間も計画していたが、その長い旅に出る前に、まず終わらせておかなければならない基本的な働きが残っていたのである。それで、「今なお妨げられている」と言っているわけである。

        なぜローマに行きたいのかというところに戻るが、そのことをパウロは11節で「私があなたがたに会いたいと切に望むのは、御霊の賜物をいくらかでもあなたがたに分けて、あなたがたを強くしたいからです」と説明している。一世紀の教会が持っていた聖書は旧約聖書であった。そして、パウロがローマの教会に手紙を送れば、旧約聖書とパウロの手紙がローマの教会での聖書となり、それを教会員が真剣に書写して他の教会に送るというやり方で新約聖書は少しずつすべての教会に行き渡った。コロサイの教会のようなところにすべての書簡が届くのは遅かったかもしれないが、新約聖書のすべては紀元70年までに書き終えられて確実にその写本はすべての教会に送られた。聖書は紀元70年に完成し、一点一画も変えてはならない聖典として封印された。一世紀末には普通の教会ならだいたい完成された旧新約聖書を持つようになっていたと思われ、二世紀に入るとほとんどの教会に聖書は行き渡ったようである。

       パウロは、ローマに行って、彼らに御霊の賜物を分け与えようとした。キリストの十字架と復活からA.D.70年までの約40年の間、聖書はまだ執筆中であって聖典はまだ封印されていなかった。聖書の残りの部分が書かれているその期間に御霊の特別な賜物があったことは、使徒行伝やコリント人への手紙などにも記されている。その時には預言の賜物があった。異言を語る賜物についても、預言する者の解釈をもって正しく伝えられなければならないことが命じられているので、異言の賜物は預言の賜物と一緒に考えてよいものである。癒しの賜物もそうであるが、それらの賜物が特別にあの時代には与えられていた。それらの賜物は、使徒行伝に記されているように、使徒がいなければその賜物は与えられないというものであった。これは非常に大切なポイントである。

       例えば、使徒行伝8章のところでは、教会の執司でピリポという人がエルサレムからサマリヤへ福音を伝えてバプテスマを授けたりしていた。彼ははっきりした信仰を持つクリスチャンではあるが、この特別な意味での御霊の賜物は何も受けていなかった。サマリヤの人々が神の御言葉を受け入れたということがエルサレムにいる使徒たちのところに知らされると、使徒たちはヨハネとペテロをサマリアに遣わした。使徒であるヨハネとペテロがサマリヤへ行って、直接その信じた人々の上に手を置くと、彼らは聖霊を受けたのである(使徒行伝8章14〜17節)。使徒が手を置くと聖霊が与えられるのをシモンという人が見た、と書いてある。それでシモンはペテロにお金を払って自分にも聖霊を授ける権威をくれるようにせがんだ。なぜ、シモンは御霊が下ったのを見ることができたのかというと、御霊が下ると、彼らは預言したり異言を語ったりしたからである。それが御霊の何かの特別な賜物によるということは明らかであったからである。はっきりと目に見える働きであったからシモンはそのように反応したわけである。使徒たちが来なければ、御霊の特別な賜物はその場にはないのである。キリストが直接任命した使徒たちを通してのみ御霊の賜物は与えられた。

       このことは、御霊の賜物が主イエス・キリストを通してのみ与えられることを証するものであった。つまり、それは使徒たちの特別な権威を証明するものであったのだ。使徒は、主イエス・キリストの特別な代理であった。行いにおいても、言葉においても、主イエス・キリストの正式な代表として働くことができる特別な賜物が使徒たちに与えられていた。使徒たちが来てキリストの御名によって御霊の賜物を与える時に、その奇跡の賜物を見る者は誰であれ、その使徒が本当にメサイアの代表だということがわかるためである。御言葉の権威がそこにつながれている。奇跡的な賜物は、メサイアなるキリストが死人の中から復活して、天に昇り、父なる神の右に座して、御自分の教会の中で、御自身が地上で始められたその働きが尚も続いていることを世に証するためのものであった。

       これらの賜物にはメシア的な意味があったため、キリストの特別な全権大使である使徒に任命された者たちを通してのみ与えることができるものであった。そのことは、その約40年の間、特にイスラエルに対して大切な意味を持っていた。イスラエルに対しても異邦人に対しても、メサイアの代表であることを表わすものであった。パウロは、ローマの教会に行ってその御霊の賜物を与えて、もっと彼らを強めたいのである。そして、御霊の特別な賜物を持つ教師を彼らの間に起こしたりして、彼らが教会として揺るがないものになってほしい。だから、ローマに行きたいと願っているのである。

       続いて、「というよりも」とパウロは言う。つまり、三番目の理由としてパウロは彼らを励まし、パウロ自身も彼らによって励まされ、お互いに慰めと励ましを受けることを求めているのだとパウロは言う(12節)。ローマの教会を大人として認める心遣いをもって付言しているのである。彼らに対するクリスチャンの兄弟としての敬意を表わしている。パウロは、ローマの人々は未熟だから行って賜物を与えなければだめだというように考えてはいない。つまり、ローマ教会の状態をサマリヤと同じようには考えていない、ということを彼らに伝えているのだ。対等に交わりを持つような言い方をしている。彼らは当然パウロほどに成長したクリスチャンではなかった。しかし、パウロは、神を信じる者らとともに礼拝を守り、彼らと一緒に交わりを持つとき、当然そのクリスチャンたちによって自分も励まされるのである。互いに励まし合うことになる。ローマの教会がパウロのスペイン宣教の重荷を分かち合い、共にその達成のために労することができると信じているのである(ロマ書16章22〜28節)。

       そして、もう一つの理由が13節にある。「あなたがたの中でも.....実を得たい」とパウロは言う。それを非常に特別な機会だとパウロは認識している。ローマの教会を励まし、強めることができるならば、そこからもっと多くの人々が福音に仕える者となって、他の所にも新しく教会が起こされたりして福音が広められることになるからである。福音の働きのために、ローマがどんなに大切な所であるのかを考えて、そこで実を得たい、とパウロは言う。そのように、幾つかの主な理由があるわけである。異邦人の世界にあってローマがどんなに大切な役割を果たすものなのかを覚えて、そこでパウロは働きたい。ローマの教会に御霊の賜物を与えたい。ローマの教会から励ましを受け、そして彼らをも励ましてあげたい。

       「実を得たい」という四番目の理由は第一の理由につながっているものである。異邦人宣教のための使徒としてパウロはローマを訪問したと願っている。しかし、パウロは、ローマを訪れたいという心の願いを更に広く聖書の主題につながる言い方で語っている。「実を結ぶ」という主題は、アダムが創造されたときに、人間の生きる目的としてアダムとエバに与えられたものであった。神は、実を結びなさいとアダムに命じられた。神は、実を結ぶように人を創造された(創世記1章26〜28節)。このテーマは、一貫して旧約聖書で繰り返されており、詳しく述べられている。実を結ぶために私たちはこの世に残っているのである。実を結ぶ必要がないならば、救われた時にいきなり天国に行く方がいいのだ。実を結ぶために残されているのである。パウロは、そのことを深く感じて祈っている。このことは、パウロの生きた信仰と心の願いをよく表わすものである。「ここでも、あそこでも、実を結びたい」という、その熱心な心がよく表われている。

       変な譬えかもしれないが、ビジネスの頭脳を持った人に会ったり話したり、スポーツマンと話したり、或は音楽家とも話したりすることがあるけれども、心底からビジネスマンで事業家の心を持った人は、道を歩いていても常にビジネスの機会を探し求めているような歩き方をしているものである。買い物に行くときにも、どの店に入っても、自分のビジネスにつながる何かを見つけようとして、そればかり考えている。自分の生活の全時間を自分のビジネスとの係りにおいて費やしている、そういう印象を強く受けたのを覚えている。休暇をとってる時でも、どこで何をするにしても、自分のビジネスの事が頭から離れることはない。スポーツのコーチもそうであった。彼に聖書の事を直接話しても何も通じないで、目が死んでしまう感じであった。けれども、スポーツを通して聖書の話をすると、俄然理解を示すようになって話を聞いてくれたのである。彼は、スポーツを通して世界を見ているのだ。その人も、どこにいても、何をしていても、自分のスポーツのことばかり考えていて頭から離れることがない。実は、その人は、結婚する相手がいたのに、スポーツのために結婚も止めにしてスポーツに専念したのである。そこまで熱心にスポーツを考えている。事実そういう生き方をする人はいるのである。音楽家も同じであった。

       パウロの場合、神の福音と神の御国が彼の心を支配していて瞬時たりとも離れることはなかった。どんな話になっても、御国のためにどうあるべきかをパウロは考えている。御国の働きを思う熱心が常に心から離れないので、すべてを、キリストを通して、キリストの働きの枠の中において考えている。パウロはビジネスもしていた。昔のイスラエルの人達は、必ず自分の手に職を持っていなくてはならなかったのである。パウロはテント作りをしていた。パウロは中途半端な仕事をしていたのだろうか。そんなことはない。非常に熱心に一生懸命テント作りの仕事をしていたのである。なぜ熱心にその仕事をするのかというと、それは、テサロニケのような怠け者の人たちが救われた時に、クリスチャンの姿はどうあるべきなのかを彼らに模範をもって教えるためであった。クリスチャンとして勤勉に働く姿をテサロニケの人々に示し、実際にその仕事から糧を得ていた。パウロは、悪い怠け者の教師がいるテサロニケでは、献金は一切受けずに自分の手の働きによって生計をたてていた。模範を示すためであり、それによってクリスチャンが成長して、福音が広められるためであった。自分の手で糧を得て、お金をもらわずに彼らに御言葉を教えた。

       パウロは、自分の手で出来る働きをもすべて御国のためによく考えて真剣にそれをしていた。ピリピの教会では、パウロは自分の手で働くことはしなかったのである。テサロニケの教会にはあまりにも悪い教師がいたので、そういう所ではパウロは教会からはお金を一切受けずに、自分で働いて、彼らには与えるだけであった。そうでないと、その教会の益とはならず、彼らは成長できないからである。パウロがそうしたのは彼らの成長のためであり、御国のためであった。自分の手で仕事するにせよ、しないにせよ、すべてを御国のために、福音のためにしたのである。どっちが御国のためになるのかによって決めるのである。すべてを御国中心に考えるパウロの心が、この祈りにおいてよく表われている。だから、「実を得るために」と言っている。御国のために実を結ぶ熱心がここに表わされてしまうのである。

       しかし、これほどに御国を中心に考えるのは、パウロが使徒だからだというわけではない。つまり、スポーツではなくて御国を、ビジネスではなくて御国を、政治よりも御国を、というようなことではない。クリスチャンなので、すべてを御国のために考えるのである。このことを私たちはよくよく覚える必要がある。ここに表わされている動機は、異邦人に遣わされた使徒の心に神の御国のビジョンがどれほど深く刻まれていたのかを示すものである。「ああ。パウロの使徒としての熱心さはすばらしい。私もビジネスマンとしての熱心さをもって働かなければいけない」と考えてしまうと、それは大変な誤解になる。主イエス・キリストが私たちに教えてくださった原則は、すべての事において、クリスチャンならばまず神の御国と神の義とを第一に求めるということであった(マタイの福音書6章33節)。

       パウロの場合は使徒として働く姿を表わしている。それは特別な働きであって、一般のクリスチャンの働きでないのは事実である。パウロのように広く旅をして福音を伝えるような責任は、私たちには与えられていない。また、人々に御霊の特別な賜物を与える権威も私たちには与えられていない。しかし、私たちは、私たちに与えれている領域において「神の御国を第一に求める」という心を持って生きなければならない。それは基本であって、ただ本当のクリスチャンとして生きることに他ならない。クリスチャンならば、すべてのことにおいて神の御国を第一に求める心を持って生きるべきなのである。神の御国の意味は大きくて広くて深いものである。

       ギリシャ伝説に"Procrustean Bed"というのがあるけれども(捕らえた者の背が高すぎればその鉄製のベッドに寝かせてはみ出た分を切り落とし、背がベッドより短ければ強引に引き伸ばしてベッドと同じ長さにする)、神の御国はそういうようなものではない。狭い、浅い、足りない、人間の思想にすぎないようなものであるならば、その足りない所を無理矢理に引き伸ばさなければ枠に納まらないし、大きすぎれば切り落として調整しなければ入れられないという問題になってしまう。御国はそういうものではない。「御国のために」という時に、隣人を愛してないのに御国のためにやっていることにはならない。「御国のため」という時に、まず第一に神を愛して、第二に隣人を愛するということである。本当の愛は、御国のためになるはずである。

       「御国のために」というときに、実に深くて広い意味を持つので、本当のクリスチャンとして生きることと矛盾するようなところはどこにもない。矛盾があるのは、罪のゆえである。御国のためだからこの世で巧く生きることができないというような問題はないのである。御国のために生きる、パウロのような心を持って生きる、それはすべてのクリスチャンに要求される正しい姿なのだということをこの箇所から教えられると思う。神は、この箇所を通して、私たちも感謝に溢れて、他の人たちに祝福をもたらすことを熱心に願い、神の栄光のために、御国のために実を結ぶというビジョンをしっかり持つことができるように私たちを励ましているのである。クリスチャンとして考え生きるとはどういう意味なのかを示しておられるのである。パウロの神学は生きた信仰から溢れ出るものであり、御霊が彼のうちに本当に働いておられた。しかし、私たちはどうだろうか。私たちは、感謝と良い働きであふれているだろうか。すべてを御国のビジョンとの係りにおいて計画を立て、祈り、労するほどに、御国のビジョンは私たちをとらえているだろうか。

       聖餐式はその心に戻るために私たちに与えられている。結局私たちは、毎週の生活の中でいろいろな試練にぶつかったり辛い事に出会ったりして、御国を第一にして神を愛し隣人を愛する心から離れてしまって、その生きる意味を忘れてしまいやすいものである。弱い愚か者な私たちは、神に心を向けておらず、神の御言葉から神の真理を聞かされる時にも、「そうだ。私はこの為にこそ生きているのだ。この為に神に選ばれているのだ」という使命感を覚えることがない。神にどれほど愛されているのかを覚えもせずに聖餐式にあずかったりしてしまう。神に愛されていることを覚えて、感謝に満ちあふれて聖餐式を受けるべきである。聖餐式で、私たちは感謝の心に戻って、その感謝の心から御国のために生きる力が沸き出てくるのである。そのことを覚えて、ともに聖餐式を受けたい。

     

    ――1998年6月28日――

     


    著 ラルフ・A・スミス師
    編集 塩光明長老
    著者へのコメント:shiomitsu@berith.com

     

    ローマ人への手紙1章5〜7節

    ローマ人への手紙1章9節

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