ローマ人への手紙7章7〜12節
7:7 それでは、どういうことになりますか。律法は罪なのでしょうか。絶対にそんなことはありません。ただ、律法によらないでは、私は罪を知ることがなかったでしょう。律法が、「むさぼってはならない。」と言わなかったら、私はむさぼりを知らなかったでしょう。
7:8 しかし、罪はこの戒めによって機会を捕え、私のうちにあらゆるむさぼりを引き起こしました。律法がなければ、罪は死んだものです。
7:9 私はかつて律法なしに生きていましたが、戒めが来たときに、罪が生き、私は死にました。
7:10 それで私には、いのちに導くはずのこの戒めが、かえって死に導くものであることが、わかりました。
7:11 それは、戒めによって機会を捕えた罪が私を欺き、戒めによって私を殺したからです。
7:12 ですから、律法は聖なるものであり、戒めも聖であり、正しく、また良いものなのです。
2000.03.19. 三鷹福音教会 ラルフ A. スミス牧師 講解説教
三鷹福音教会の聖日礼拝メッセージおよび週報をもとに編集したものを掲載してあります。
パウロと律法、その過去
7章7〜12節
今日は、7章7節から12節の箇所を考えたい。ここでパウロは何を論じているのかについて、注解者たちの間には約七つほどの異なる解釈がある。パウロがここで自らの経験を語っていることを否定する註解者は少なくない。ここで、パウロは自分の経験を語っているのか。あるいは、クリスチャンではない普通のユダヤ人の経験を語っているのか。それとも、クリスチャンではないすべての人たちについて、即ち異邦人であれユダヤ人であれ、キリストを信じていない人たちのことを話しているのか。昔の教父の中には、この箇所はアダムの話をしているのではないかと考える人たちもいた。
いろいろな解釈があるが、パウロ自身がそのことを明らかにしていると考えるべきだと思う。つまり、パウロは何度も繰り返して「私」と言っているのである。そして、この箇所がすべて過去形で書かれていることから、これはパウロ自身の過去のことについて話しているという事実は疑いようもないと思う。注解書を読むときに、違う解釈に出会うこともあろうかと思うが、これほど頻繁に「私...私...私」と繰り返していることには目を留めるべきであり、これは明らかにパウロ自身の事について話していると理解する方が自然である。
文 脈
ローマ書のより広い文脈において、クリスチャンのためにもクリスチャンではない人のためにも、パウロが律法の意味をより深く説明することは重要であった。ユダヤ主義者たちは、救われるためにはモーセ契約に対する服従が必要だと教えた。無律法主義者らは、律法を自由に破ることは許されると教えた。パウロは、ユダヤ主義者たちが彼を無律法主義者であると責めるような仕方で神の御恵みによる救いを説き、同時に、無律法主義者が彼を律法主義者だと訴えるほど神の戒めを守って正しく生きることの重要性を強調して教えた。明らかに、事は複雑であり、これはどうしても説明しなくてはならない問題であった。
「キリストにある者は律法の下にはいないのだから、罪から解放されている」とパウロは教えている (6章14節)。確かに、律法に問題があるか、少なくともそう理解され得るように聞こえる一面がないわけではない。そこで、そのような誤解を防ぎ、律法の真の意味を示すために、パウロは引き続き律法と罪人の関係について更に詳しく説明する。したがって、パウロが自分自身について語っていることは単なる自叙伝のようなものではない。先に話したように、その状態が人間にとって典型的な状態であるがゆえに、パウロは自分自身の経験を通して述べているのだ。
そういうわけでパウロは、7章の冒頭で律法についての原則を示した後、続けて典型的と思われる自らの経験を述べるのである。14節からの箇所でも、パウロは続けて「私」という言葉を繰り返し使うけれども、14節から25節までの文章がすべて現在形に変わっていることに注目しなければならない。パウロが意識的にそのことを書いているのが明らかである以上、私たちは迷うべくもない。この7章にあるのは、パウロの過去とパウロの現在の話なのである。
もう一つ注意しなければならないことがある。それは、パウロがローマ人への手紙を書くときに、章ごとに刻んで書いているのではない。1章から16章までが一通の手紙として書かれているのである。これは当然のことであり、皆さんも既に知っていることである。しかし、この点をついつい忘れてしまって読むときに章や節にこだわって読んでしまいがちである。そうではなく、基本的に一通の手紙としてその文脈の中で理解しなければならない。つまり、7章で書いたことは7章の終りで一段落して、8章からは別なことについて書いているというようなものではないのである。8章も7章の話の続きなのだ。続けて、律法とクリスチャンの関係とは何なのかという一つのポイントについて教えているのである。
だから、聖書を読むときに、7章を読んだらそこで話が一つ終わったというように考えてはならない。8章の最初の話も律法とクリスチャンの話であって、7章の1節から6節までに出て来る御霊の話は8章になってからやっと詳しく説明されているものである。だから、7章1〜6節までのところで、「律法に対して私たちは死んだので、律法からは解放されている。それによって私たちは、新しくされて、御霊に満ちて生きる者となった」というような話をするとき、まるで律法が悪いものであるかのように聞こえてしまう人がいるが、そうではない。律法は良いものなのだということを、パウロは7章7節からずっと25節までのところで説明している。その説明の後で、こんどは、御霊によって新しい歩みをして神の御国のために実を結ぶとはどういうことなのかということを8章のところで話しているのである。
そして、これらのことが5章と6章の続きだということも覚えておかなければならない。5章でアダムとキリストの話が出て来た。「アダムにある者は死んでおり、キリストにある者は生きる」ということを5章で説明した。続いて、「恵みによって救われるというなら、私たちは何をしてもいいのではないか。罪を犯してもよいのではないか」という間違った考えをパウロは6章で取り扱った。「罪を犯してもいいのか」という問いに対して、「絶対にそうではない」とパウロは言う。「律法の下にではなく、恵みの下にある」とはどういう意味なのかをパウロは説明した。そのことを6章で説明しているが、7章では、「律法の下にあるとはどういう意味なのか。どうして私たちは律法から解放されなければならないのか」を説明している。そうして、恵みの下にあって御霊に満ちている生活とはどんなものなのかを、8章で説明するのである。
そういう意味で、5章は1章から4章までの結論であると同時に、5章は、6章から8章までの導入でもあると言える。ここで、私たちは今まで学んだところの全体的なつながりをもう一度思い出してから、先に進みたいと思う。ずっとパウロは一貫した話をしているのだということを是非覚えていただきたい。毎週、少しずつ学んでいるために、“木を見て、森を見ず”という間違いに陥りやすいので、気を付けなければならない。全体的な流れをここでしっかり把握しておいていただきたい。
まず、パウロは7〜13節でクリスチャンになる以前の経験を述べ、次に14〜25節でキリスト者としての自分の今の経験について述べているが、ローマ書にある章の区切りはパウロによってなされたものではない。パウロは同じポイントを続けて説明しているのだ。彼が自分の経験について述べていることは、8章の中の御霊についての教えから切り離して理解するようには意図されていないのは明らかである。8章の御霊についての教えは、彼が7章6節で明らかにしたポイントの解説なのである。
律法は罪なのか?
「律法に対して死んで、そこから解放され、新しい歩みをすることができる者となった」という言い方を聞くときに気を付けないで聞くと、「あの律法に対して死ななければ救われない。あの律法は悪いものだ」というような印象を持ってしまいやすい。「律法の下にあるなら、罪の下にあるのだ」という言い方もパウロはしている。「アダムにある」ということは「律法の下にある」ということであり、それは「罪の下にある」ということなのだと説明している。「その状態から救われなければならない」と教えている。聞き方を一つ誤ると、まるで律法が悪いもののように聞こえてくる。だから、パウロは7章7節でそのポイントを取り扱うのである。パウロは、律法は罪なのかと問うところから始める。勿論、その答えは強調を伴う否定である。7節でパウロは次のように言う。
それでは、どういうことになりますか。律法は罪なのでしょうか。絶対にそんなことはありません。
律法は、罪の原因なのだろうか。律法そのものに悪があるというのだろうか。律法そのものが問題なのか。「私ではなく、律法が悪いのだ」という意味なのだろうか。「絶対にそんなことはありません」とパウロは言う。律法に問題があるわけではないということをパウロは強く言う。次の節にある日本語の「ただ」という訳は間違っている。この言葉は「ただ」ではなく「むしろ」と訳すべき言葉である。パウロはこう説明する。
むしろ、律法によらないでは、私は罪を知ることがなかったでしょう。律法が「貪ってはならない」と言わなかったら、私はむさぼりを知らなかったでしょう。
パウロは、「律法がなかったなら、私は罪を知らなかったでしょう」と言うのである。これは、パウロ自身の経験である。「私は罪を知ることがなかったでしょう」とはどういう意味なのか。パウロがここで考えているのは、表面的な意味での罪に関する知識ではない。パウロの人生において、殺人、偽り、盗みなどが罪であることを知らなかった時期はないことを私たちは容易に確信できる。もしここで、「律法が、『殺してはならない』と言わなかったら、私は殺人を知らなかったでしょう」とパウロが書いたとすれば、更におかしな話になっていただろう。パウロ自身が8節と9節でその説明をしている。
しかし、罪はこの戒めによって機会を捕らえ、私のうちにあらゆるむさぼりを引き起こしました。律法がなければ、罪は死んだものです。私はかつて律法なしに生きていましたが、戒めが来たときに、罪が生き、私は死にました。
「律法によって、私は罪を知るようになった」とパウロは説明している。「律法がなければ私は生きている。律法が来たときに、罪が生きて、私は死んだ」とパウロは言う。そのところについて考えたいと思う。これはパウロ自身の話でもあるが、なぜここで自分の経験からの話をするのかというと、パウロ自身が典型なのであって、パウロは普通の罪人と何ら違わない人間だからである。自分が特別な者であって、普通の罪人とまったく違う者だと言うなら、パウロは律法の話をする中でこのような話をする筈はない。それが、どこまで普通の人の話なのかというと、ここでパウロが話していることは確かに創世記3章の話に似ているという点に注目しなければならない。
パウロは、「律法がなければ、罪は死んだものである」と言っている。また、「私はかつて律法なしに生きていた」(9節)と言う。それだから、「これはパウロ自身の経験である筈はない」と多くの注解者たちは考えている。「パウロはパリサイ人の中のパリサイ人であり、ベンジャミン族の家庭に生まれた。だから、パウロが律法なしに生きた時があったというのはおかしい。パウロは自分自身について話してるのではない」と解釈するわけである。しかし、ここでパウロが「律法がなければ」と言っているのは、「律法が自分の心の中に本当の意味で入らなかったとき」の話なのである。律法の意味を悟らなかったときの自分を言っているのである。
表面的には律法があるように見えても、実際には心に律法はなかったのである。実際に律法を持っていたけれども、その律法は自分の心の中に何も伝えてはいなかったのだ。「持っていた」と言えないこともないが、「持っていなかった」と言うこともできる。そういう意味でパウロは、「律法がないために、自分は何も知らなかった。罪を認識しなかった。しかし、律法が来たときに、その戒めが来たときに、私は罪を知るようになった」と言っているのである。つまり、パウロはかつて律法は持っていたけれども、その律法は自分に対しては何も意味をなさず、通じてもいなかったので、パウロは自分の罪を深く認識することもなかったのだと説明しているのである。
「戒めが来たときに」という表現は、初めてその戒めを聞いたということではなく、その意味を初めて理解した、初めて心の中に入ってきたことを意味しているのである。この理解が正しければ、この箇所がパウロ自身を指しているということについておかしいことは何もない。それどころか、他の解釈の方が却っておかしいと言えるほど第一人称の代名詞や動詞の語尾をパウロは頻繁に使っているのだ。そのパウロに、ある時、律法が明確に意味をなすものとなり、戒めは深く心に入ってきた。それで自分の罪をはっきりと認識するようになった。しかし、罪を知るようになっただけでなく、逆らう思いも同時に生じてきたのである。
それで、パウロは、本当に自分はどうしようもない罪人なのだということを一層深く悟り、「その時自分は死んだ」と言うのである。この「私は死んだ」というのは、6章にある「罪に対して死ぬ」という話ではない。ここで言っているのは、アダムとエバが園から追放されたときに経験した死のような、罪ゆえの死である。心の中の自分が死んだのである。「私は罪人だ。私はもうだめだ」という意味において、自分は死んだ。つまり、自分は救いを必要とする者だということを深く悟ったのである。その意味で自分は死んだのである。その古い自分は死ぬべきであることを深く悟ったのである。罪人には死の他何もないことを、悟ったのである。
パウロはモーセの十戒から特に「むさぼり」の罪を選んで説明している。パウロがこの第十番目の戒めを選んだのは、この戒めが十戒の中で一番明白に“心の中”の罪に係わる命令だからである。実際のところ、モーセの十戒のどの戒めを引用しても同じことが言えるのだ。しかし、特にこの「むさぼってはならない」という命令は、心を明白に取り扱う命令である。「殺してはならない」という戒めを用いても、「私は誰も殺してはいないから、私と関係ない」と思う人もあろう。「盗んではならない」と言われても、誰かは「私は盗みなんか一切していない。私は関係ない」と言うであろう。「偽証してはならない」という戒めを持ちだしても、「裁判で法廷に立ったこともないから、偽証したこともない。私とは無関係のことだ」と言う。「姦淫してはならない」という戒めを聞いても、「そんなことしたことはない」と言うのである。「父と母を敬いなさい」と言えば、「そんなこと私はちゃんとやってます」と言う。「安息日を守りなさい」と言えば、「私は安息日をとても厳しく、もうパリサイ人のように厳しく守っています」と思ったりする。だから、「私は大丈夫だ。他の神々を信じてもいないし、偶像礼拝も絶対にしないし、神の御名を気を付けて使っています。だから、私は大丈夫です」と、事実パリサイ人たちはそのように考えていた。
それ故パウロは、ピリピ人への手紙3章で、「私はもとはそういう人間であった。自分では律法を守っていると思い込んでいた。律法を見れば、『ああ。私は大丈夫だ』と考えていた。そういう時期が自分にはあった」と告白するのである。その同じことを、この7章では「それは律法がない時期のことであった」という表現で言い表しているのである。つまり、それは表面的なものでしかなかった。壁には貼ってあっても、心には入っていない。その状態が、“律法がない”状態なのだ。その時は、律法を見れば、「自分は大丈夫だ」と思っていた。しかし、律法の意味を本当に悟ったとき、つまり、律法の戒めが心に入ったとき、その自分は死んだ。というのは、律法は心の奥底までの義しさを要求しているものだからである。
律法は「むさぼるな」という戒めを心に対して要求し、ただ単に表面的な行ないを取り扱っているのではなく、実に心の最も深いところに至るまで完全な聖さを要求するものであることを知ったとき、「私は死んだ」のである。その義の律法の前で、罪人に過ぎない自分はどうしようもないものになった。「私は大丈夫」とは決して言えない、屍となったのである。「私は死んだ」とパウロが言っているのは、罪を深く知らされ、そこから解放され得ない自分のことを言っているのである。「私はまったく死に支配されている罪人なのだ」という告白なのである。律法を見るときに安心していた自分が、今はもはや「私は素晴らしい。私には功績がある。私は律法をちゃんと行なっているから、私は大丈夫だ」とはもう思えなくなったのである。それがパウロの言っている意味である。
皆さんも経験的に知っているのではないかと思うが、このポイントは文化的にもはっきり見ることができるものである。テレビの番組でもときどき出て来るが、いわゆる原始的な文化を持つ地域に取材に行くと、彼らの生活は単純で、ハッピーで、毎日が生存のための限界のところで生活しているにしても、何も苦悩がないかのように見える。テレビのナレーターや解説者は、彼らの純粋さを訴え、「彼らには私たちが失ってしまった何かがある」と、しんみり語るのである。それが彼らの解釈である。私たちが住んでいるこの日本では、諸々の問題が複雑になりすぎていて忙しすぎるという問題があるのは事実である。しかし、もっと別な問題があると思う。つまり、その“原始的”な生活をしている人たちの知らないことを知らされてしまったという問題である。
つまり、日本の方が、間接的であっても神の御言葉の倫理と多く接触している。接触があればあるほど、良心の痛みも深くなる。御言葉の倫理との接触が少なければ少ないほど、良心の痛みはない。その人たちの生活をテレビで見せるとき、彼らがどれほどいとも簡単に戦争状態に陥ってしまうかは決して見せない。編集者の解釈でドキュメンタリーは創られていく。姦淫の問題がどんなに大変な問題になっているかも、見せない。平気で人を殺すが、次の日には何もなかったかのように生活している。良心の痛みもない。人を殺しても、マクベスのように手についた血を必死に洗い落とそうとするような思いは何もない。平気で、飲んで食べて日常生活を楽しんでいる。その程度の良心しかもっていない。それが“野蛮人”なのだ。
確かにある意味で彼らはハッピーに生きている。何も良心は痛まないからである。彼らは、パウロがテモテへの第一の手紙4章で言っているような「良心が麻痺している」状態にある。繰り返し良心を殺しているために麻痺してしまっているのだ。個人一人ひとりというよりは、その文化全体が良心の麻痺状態にあるのだ。そうすると、倫理的に上には行かずに、どんどん悪くなる一方なのだ。それを人々は“原始的な文化”と呼んでいるが、そうではなく、これは“堕落した文化”なのである。駄目になってしまった文化なのだ。大昔に遡っていくことができたならば、この人たちはもっと高い倫理的な生活を送ることができた筈である。その麻痺状態は、良心を捨ててしまう生き方を代々続けたための結果なのである。
バベルの塔まで遡ればはっきりしていることである。当時、人類は一つの言葉を語り、非常に高い文化を持っていた。それが問題の本質である。神の御言葉が来ると、人間は自分の罪を見て悩み始めるようになり、心は複雑になっていく。その複雑さが極度にいくとノイローゼになるわけである。神の御言葉をある程度まで知っており、その律法の要求を知っているにもかかわらず、尚も頑なにキリストを受け入れないなら、ノイローゼに向かうしかない。頭も心もおかしくなっていくしかない。自分の良心は爆発しそうになる。常時そうだとは限らないが、いわゆるノイローゼの問題は、良心と罪とモーセの律法との問題なのだと言ってよい。社会的にはもっと複雑な状態になっており、もっと複雑な面もなくはないが、単純に言えばそういうことになる。
パウロは、「むさぼってはならない」という戒めを心で受け止めたときに、自分の心にはどんなに深いむさぼりがあるのかを悟った。その時「自分は死んだ」とパウロは告白する。自分の心にあるその罪を見て、自分はもうだめだということを悟った。これはどの戒めにおいても言える。むさぼらないことの意味をより深く悟らされたことによって、パウロは他のすべての戒めのより深い理解へと導かれたのである。キリストがマタイの福音書5章でユダヤ人に説明している。「殺すな」という命令は、「正しくない怒りをもってはならない」という戒めであり、それは単に行動において言っているのではなくて、心の中の話でもある。「姦淫するな」という戒めも、心の中で何を考えているのかということを扱っている命令である。このレベルで考えるならば、とんでもないことになる。自分は、モーセの十戒を最初から最後までその全部を激しく破っているということになるのだ。
例外は一人もいない。誰も神の律法の前に立つことは、とてもとてもできないのである。罪に対する律法の死の宣告の前で、誰も立つことはできない。深く見れば見るほど、「自分はもうだめだ」としか言えない。偶像礼拝をしていないと言うのか。いや、そんなことはない。「むさぼりが、そのまま偶像礼拝なのです」と、パウロはコロサイ人への手紙3章5節で言っているとおりである。まことの神ではなく、他の神々を神にしている。自分を神にしている。その律法の意味を悟ったとき、パウロは「私は死んだ」と言っているのである。
聖書を単純に面白いと思って読む人、或いはただ興味深い書物として読んでいる人たちがいる。リベラルの人たちやクリスチャンではない学者たちの中にそういう人が大勢いる。面白がって聖書を読むけれども、自分の罪を何も感じないでいる。罪意識を持っていても、実質的には持っていない状態にある。本当の意味で御言葉の意味を悟ったなら、自分はだめだということを深く感じるはずなのだ。戒めを深く理解したとき、パウロは想像したこともないほど自分がむさぼりに満ちていることを知った。
さらに悪いことに、戒めをより深く悟ったとき、それはパウロの内に更にむさぼりを引き起こしたのである。彼はむさぼりが意味するところを理解したとき、おそらくむさぼらないようにと更に試みたために、更にむさぼっている自分を見たのである。律法によって、あらゆるむさぼりが心の中に起こって来るのである。「むさぼってはならない」というい戒めの意味を悟ったとき、自分の心の中にあるむさぼりがどんなに多いかを知らされるだけでなく、むさぼる心が一層強くなってしまう。それがパウロの告白である。
これは、子どもたちに譬えればよくわかることだと思う。子どもに「それをしてはいけませんよ」と言わなければ、それをしようとも思わなかっただろうし、しても気が付かないかもしれない。しかし、「やるな」と言えば、却って子どもはそれをしたくなってしまう。これが罪人の心なのだ。しかし、大人になってもそれは変わらない。やり方はもう少し巧妙になるし、認識のレベルも違うのは事実だが、そういう意味ではもっと罪は深くなってしまうと言える。「してはならない」と言われると、ついやってみたくなる。その罪の問題は私たち皆の心の中にあるということを、パウロは言っている。だから、「あらゆるむさぼりを引き起こした」という言い方には、「神に逆らう思いを引き起こした」という意味が含まれている。
それと、もう一つのことは、今まで自分の心の中にはこれほど多くのむさぼりがあったのを知らなかったが、「むさぼるな」という律法の戒めが来たときに、自分の心の中の一つ一つのむさぼりが見えてきて、「この点においても私はだめだ。あの点においてもだめだ。これも、あれも....」と、自分のあらゆるむさぼりに気が付かされるのである。その事実を悟ると同時に、神に対して逆らう心も引き起こされたと言うのである。だから8節でパウロは、「罪はこの戒めによって機会を捕らえ、私のうちにあらゆるむさぼりを引き起こしました。律法がなければ、罪は死んだものです」と言うのである。律法がなければ、罪はそれほどはっきり出て来るものではないのである。10節でパウロは更に説明している。
それで私には、いのちに導くはずのこの戒めが、かえって死に導くものであることが、わかりました。
戒めは、祝福である。戒めは、いのちの道を教えてくれるものなのである。しかし、その戒めが、かえって死の道を歩むように導くものとなった。戒めは、自分を死に導いたのである。そのことをパウロは自らの経験によって語っている。それで、自分は死んだ者となった。パウロが死んだ者となったのは何時なのか、神に対して逆らう気持ちさえ起こした時期が具体的には何時でどういうことだったのかは知らされていない。しかし、パウロが自分の人生の経験として語っているのは確かである。
これは、創世記2章と3章のところに戻って考えればよくわかることだと思う。アダムの罪においてこのことはよく表わされている。神は、「善悪の知識の木の実を取って食べてはならない」という命令をアダムに与えてくださった。サタンが来て誘惑を与えるとき、その祝福を与えるはずだった命令を用いて、アダムとエバにむさぼる心を引き起こしたのである。アダムとエバの罪も、むさぼりから始まったのである。エバは、その木を見たとき、このためにもあのためにもそれは実に好ましく見えたので、禁じられたその実を取って食べた。そのむさぼる心がどのように起こったのかというと、サタンは、「神は本当にそんなことを命じたのですか。それはおかしい。本当はこういうことなんだよ」と惑わすことによってエバの中に神に逆らう心を引き起こさせたのである。命令が無ければ、その罪は無かったのである。
アダムとエバの場合、それは明白なことであった。その木の実から食べることが禁じられていなければ、サタンはそこで誘惑を与えることは不可能であった。アダムとエバは最初に倫理的に良いものとして創造されたので、サタンはアダムにエバを殺させるような誘惑を与えることはできない。しかし、なぜこの命令があるのかがはっきりしておらず、ただ神の主権と権威を信じて行動するように神はその命令をアダムに与えた。神に信頼し、神を愛し、神に忠実に従うかどうかだけしか問題に成り得ないような戒めであった。「他のすべての木から取ってたべてもよい。しかし、この善悪の知識の木からだけは取って食べてはならない。とって食べるとき、あなたは必ず死ぬ」と神は命じられたのである。木の実を取って食べること自体には何も悪いことはない。「だめだ」と命じられたことを素直に受けとめて従えばよかったのである。
しかし、「だめだ」という一つの命令が与えられたときに、サタンはその祝福のための命令を巧みに利用して、むさぼる心を引き起こさせて、罪を犯させた。神に逆らう気持ちを抱かせたのである。それだから、「逆らう思いが戒めから出た」という言い方ができるわけである。そういう意味で、パウロの経験もアダムとエバの経験も似たようなものであったのだ。命令が来たとき、心の中に神に逆らう気持ちが生じてきて、神に逆らい、そして死んだ。命令は祝福となるはずであったが、却ってそれはパウロを殺したのである。なぜなのか。それは、罪が命令を利用してパウロを欺いたからである。
この箇所全体を通して、その言葉遣いが創世記のエデンの園の箇所を思い起こさせるのは偶然ではあり得ない。アダムとエバは神が禁じられた木の実をむさぼった。パウロの時と同様に、その木の実を禁じる命令が彼らのむさぼりと罪に機会を作ったのである。彼らの中にある罪が彼らを欺き、彼らは殺された。園におけるアダムとエバの経験とパウロのそれとの間にある類似性は、ここに記されていることが罪人の典型的な経験であることを指している。そういう意味で、私たちもみな似たような経験をしていると言える。
パウロと清教徒
しかし、必ずしも皆が同じ経験を持っているとは限らないということも言わなければならないと思う。昔の清教徒たちは、このローマ人への手紙の7章7節から12節までの箇所をとらえて、「パウロはこのような経験をしたのだから、クリスチャンになろうとするすべての者はこれと同じ経験をしなければならない」と考えた。それで、その経験をはっきりと教会の長老たちに語ることができなければ教会員にはなれないというシステムを作ったのである。つまり、「自分はこのように自分の罪を悟り、このような経験をし、そしてキリストを信じる信仰に導かれた」というような告白をしなければ教会員になることはできなかった。罪の意味を知るようになって、その後に落胆する時期、即ち「死」の時期が続くという経験を、すべてのクリスチャンが持つはずだと考えられた。
「その時はじめて人は福音のうちにあるキリストの救いの御力を真に悟ることができる」と考えられたのである。そして、そのようなシステムがアメリカの清教徒たちの中に出て来た。そのために、幼い時にバプテスマを受けたけれども、その経験をしなければ、死ぬ日まで聖餐式は受けられないし、教会員として認めてはもらえなかった。バプテスマも受けたし、毎週教会にも来るし、こんどは自分の子どもにもバプテスマを受けさせたいけれども、自分は正式には教会員にはなっておらず、聖餐式を一度も受けたことがなく、ローマ人への手紙7章7節から12節までの経験に合致すると認められるような経験もしていない。そんなおかしなシステムが実際にあった。そして、アメリカの普通のバプテスト派の教会では、信仰告白がなければバプテスマは受けられないものになっている。
そのような教会では、自分の経験を証しとして言えなければバプテスは受けられないというような規準が設けられている。だから、証しすることが、そういう意味で非常に大切にされている。私たちも証しすることが良いことだということは認めている。ここでパウロ自身が証ししているということも言えないことはない。色々な場面で証しすることは、聖書の中にもたくさんある。だから、証し自体が悪いことではない。だからと言って、「このような経験を自分の証しとして言えなければ、あなたはクリスチャンではない」というようなことはとても言えないのである。パウロのような経験をすべての人が、私たちが見て理解できるような感じでしているとは限らないのである。
例えば、バプテスマのヨハネのことを考えてみればわかる。バプテスマのヨハネは生まれる前から御霊に満たされて神に対する信仰を持っていたことが福音書に書かれてある。キリストが来たとき、まだ胎の中にいて生まれてもいないのに、バプテスマのヨハネは喜んでキリストに対する信仰を表わしていた。ヨハネが、ここでパウロが語っているような経験を、何かの形で経験していると言えないこともないだろう。つまり、神の命令であるモーセの律法を見て、自分の罪を深く感じるというような経験はあったに違いない。それは、今日でも私たちが毎日経験していることである。それは、特別な時に特別な経験をして、その時からもう二度とその経験をしなくなったというようなものではない。
ジャン・バニヤンの経験も広く知られているところである。教会に行っていて、幼少の頃から御言葉を聞いていたのに、何も戒めは心の中には入らなかった。ある時、神の律法の要求の意味を深く知ったときに、彼は深く悩み苦しんだ。「私は、どうしたらいいのか」と、ずっと長い間苦しんだのである。その悩む時期というものが彼の場合はっきりあったのである。その経験は彼の著書「天路歴程」の中に出て来る。ジャン・バニヤンの『天路歴程』は、このような神学を物語のかたちで表したものである。破壊の町に住んでいたときに、その町が滅ぼされると知ったとき、彼は長いこと悩んだあげく、「旅に出なければならない」と考えた。その破壊の町から出るとき、彼は大きな重荷を背負っていた。それは、神を求めてはいるけれども、まだ罪からは解放されていない状態を表わしている。重荷を背負い、歩いて歩いてどうしようもない気持ちで進んで行くうちに、モーセの十戒の山に登る道を行った。その道を行けば行くほど、重荷はもっと重くなっていく。そして、「この道ではない。十字架の方に行かなければならない」ということを知らされて、方向転換して十字架のもとに来たとき、重荷は卸されて初めて力強く歩むことができるようになったという話である。
それで罪が消えてしまったという話ではない。ジャン・バニヤンはそこで自分の経験を物語にして説明して、彼の神学を表わしているのである。そのような経験が、すべての人に対して要求される。自分の罪に気が付き、このままでは滅びることを知り、悩んでも悩んでも赦しの道がわからない。どうしたらいいのかがわからない。「もうだめだ。このままでは滅びる」ということを深く経験する。そこからキリストの十字架の救いを知り、それによってはじめて救われる。それが清教徒たちの教えであった。その影響が長老教会の中に入り、バプテスト教会の中にも入った。
教会史を見るとき、それが100%悪いとか間違っているとも言えないことがある。つまり、私たちはモーセの律法の意味を本当に知ったときに、確かに自分が罪人であることを深く感じるはずなのだ。しかし、長く悩んで苦しんでからクリスチャンになる必要はない。モーセの律法を幼い時から教えられて、幼少の頃から自分の罪を知らされて、それが少しずつ深められていく人もいれば、急に悟る人もいる。そういう意味で経験はさまざまである。証しを聞いたくらいで、「これはまだ本物になっていない」と判断できるようなものではない。パウロは、自分の経験を本物のクリスチャンと偽り物のクリスチャンを区別するための基準として提示しているのではない。
決して、クリスチャンは皆似たような回心の経験を持つということではないのは事実である。しかし、ある意味では、クリスチャンは皆似たような経験を持つものだと言うこともできる。つまり、「むさぼるな」という神の戒めは、私たちの心の思いに対して完全な正しさを要求しているのである。心の思いが、神の御前で正しいのでなければ、「私は大丈夫だ」とか「私は善人だ」とか「私はきよい」とかはとても言えないのである。心の思いが、本当に100%、神の御前で正しいものになっているのかというと、決してそうではない。
週毎に行われる聖餐は毎週だいたい似たものを提供するとも言えるだろう。神の御言葉を読み、歌い、そして聞くとき、私たちは自らの罪を悟るからである。私たちは毎週、自らの罪を告白して主の晩餐を受けている。聖餐式を守る中で己の罪深さを徐々に悟るようになり、神の愛なる御恵みを更に深く味わい、感謝するようになるのである。
それだから、聖書をある程度まで取り入れて知っているけれども御言葉から離れてしまっている文化は、ノイローゼの人間が多い文化となる。聖書を知っていて、罪を悔い改めてキリストを信じた個人と文化は、足りなさを感じて常に何かを求めている文化になる。「自分の心はきよくなった。これでもう満足だ」と言える筈がないのである。「もう大丈夫だ。もう求めなくてもいい」と思う筈はない。喜びと感謝の心にはある意味での満足は確かにあるだろう。それはそれで良い。毎回感謝するときに、「感謝ですが....」と言わなくてもいい。「感謝です」と、喜んでよいし、神の恵みに対して満足することはとても良いことであり、大切なことである。しかし、自分の心を見るとき、「もうこれで十分だ。もうこれ以上成長しなくてもいい。これ以上はもう仕様がないことだ」という思いを持ってはならない。本当に自分の罪を知るときに、自分の足りなさを覚え、益々成長を求め、キリストとその御国を求めなければならない思いに駆られる筈である。
御言葉を知らない個人や文化はそうではない。満足し、良心の呵責もなく、気にもせず、気が付きもせず、倫理的に堕落した状態にあっても深い良心の問題はないのである。御言葉をある程度まで知っていて、正しさについて、善悪について、少しでも深く考えてしまうと同時にキリストを信じていない文化や個人は、複雑になるにつれてノイローゼぎみになるしかない。キリストを信じて救われた者は、感謝と喜びを持つが、更に高いものを常に求めるようなエネルギーがある。これがパウロ自身の経験であり、またクリスチャン全体の経験でもある。
7章7節から12節までのところでパウロは、「私は以前、野蛮人のようであった。何も感じることなく、楽しく過ごしていた。律法が来たとき、私はノイローゼのようになった。キリストを信じたとき、私は救われたけれども、罪との戦いは益々激しいものとなった」という意味のことを言っている。非常に足りない表現であるが、極く単純に言えば、そのような言い方ができると思う。もちろんパウロはある程度まで律法を知っていた人間であったので、殺人をしても何も感じないような堕落した低いレベルの倫理的状態から始まったわけではない。しかし、表面的にしか律法の意味を考えていなかった。それはパリサイ人の典型的な状態であることは、キリスト御自身が福音書の中で繰り返し教えているところである。
10節は、「それで私には、いのちに導くはずのこの戒めが、かえって死に導くものであることが、わかりました」と訳されているが、ギリシャ語原文には「導く」という言葉はない。ここには訳者の解釈が入っている。これも、ウェストミンスター信仰告白の中に出て来る“行ないの契約”の考え方の基礎になっているものである。その戒めは「いのちに至る」ものであったが罪がそれを「死に至る」ものにしたという考え方、いわゆる“わざの契約”或いは“行ないの契約”の立証テキストとして改革派神学の中で使われてきたものである。もともと戒めはいのちを与える筈のものであったが、死を与えるものになった。それで、「アダムとエバは、神の命令を守ることによっていのちを得ることができる筈であった。しかし、命令を破ったので死が与えられた」という考え方が、この箇所とローマ人への手紙5章やガラテヤ人への手紙などに対する解釈から出て来て、「行ないの契約」という考えがウェストミンスター信仰告白や大教理問答に出て来るようになった。不従順が死に値したのと同様に、従順はいのちに値するという意味に理解されてきた。
しかし、既に話したように、アダムとエバは、命令を守ることによっていのちを得るわけではなかった。「最初から彼らはいのちの最高の状態に置かれていた」のである。エデンの園の中に住んでおり、神との親しい交わりの中にあった。いわゆる“行ないの契約”というものが最初にあったとすれば、アダムとエバはエデンの園の外にいるのでなければならない。そこで、命令が与えられ、その命令を守るなら、園の中に入ることが許されるという状態でなければならない。エデンの園の中に住むということは、いのちの最高の状態にあるということであり、神との親しい交わりを持つ状態であり、至聖所の中に神とともに住んでいるのである。それが出発点である。解釈するときに、その出発点を見落としてはならない。
いのちは、行ないによって得た祝福ではない。アダムとエバは、何かの命令を守ることによって、後でいのちの木の実から取って食べてもよいという状態にあったのではない。いのちの木の実は、最初から「ただで食べてもよいもの」として与えられていた。何度も言うように、最初から、名前のある木は二つしかなかった。その内の一つを食べてはならないと禁じれば、もう一つの方をどうぞ食べてくださいと招いていることになるのである。だから、いのちの木の実は最初から食べるように提供されていたのである。それだから、アダムとエバはそれを求めて園の真ん中へと歩いて行った。そのいのちの木の前に立ったときに、サタンが、その隣にある木から話しかけて、そこから問題は起こったわけである。
禁じられていなかったので、アダムとエバはいのちの木を食べに行ったのである。そこで誘惑があり、彼らは罪を犯したので、命令によって殺されたというような話になっている。11節で、「それは、戒めによって機会を捕えた罪が私を欺き、戒めによって私を殺したからです」とあるとおりである。そういう意味で、これは「行ないの契約」とか「業の契約」というようなものではない。いのちは最初からあったのである。命令はいのちに歩ませるために与えられていた。よく引用されるレビ記18章5節には次のように書いてある。
あなたがたは、わたしのおきてとわたしの定めを守りなさい。それを行なう人は、それによって生きる。わたしは主である。
「それを行なう人は、それによって生きる」とあるが、この新改訳の訳文は、“行ないの契約”の考えを強調するような訳になっている。このギリシャ語原文は「その中に生きる」と訳してもよいものである。「神の掟と定めを守り行なう者は、いのちの中を生きる」という意味である。命令は、いのちへの命令なのである。このレビ記18章5節は、ローマ人への手紙10章やガラテヤ人への手紙3章のところでもパウロによって引用されており、それをこのローマ人への手紙7章と一緒に考えるときに、「ほら。行ないの契約はモーセの律法の中にも含まれているではないか」というような解釈をしてしまう。モーセは、いのちを持っていない者に対して、「この十戒の戒めや掟を守ることによっていのちを得ることができる」という話をしているわけではない。イスラエルの状態は、アダムとエバの最初の状態と同じものだったのだ。神の子どもとして養子にされていた。
だから、モーセの十戒の一番最初のところを思い起こしていただきたい。「わたしは、あなたをエジプトの国、奴隷の家から連れ出した、あなたの神、主である」と神は仰せられたのだ。つまり、罪の奴隷の状態から救い出された後で、命令が与えられたのである。救われた者に神は命令を与え、その命令を守ることによって祝福することを約束したもうたのである。イスラエルは、贖い出された民として存在していた。その救われた者が、神の命令を守ることによって祝福を得るというつながりになっている。例えば、ヨハネの福音書で主イエス・キリストはこう言っておられる。
もしあなたがたがわたしを愛するなら、あなたがたはわたしの戒めを守るはずです。
わたしの戒めを保ち、それを守る人は、わたしを愛する人です。わたしを愛する人はわたしの父に愛され、わたしもその人を愛し、わたし自身を彼に現わします。
これはヨハネの福音書14章15節と21節にあるキリストの言葉である。キリストを愛する者はキリストに愛される。誰もこれを、私たちの神に対する愛とその戒めに対する従順が神の愛を受けるに相応しいという意味だとは理解しないであろう。では、なぜ神が私を愛するのかというと、私が神を愛して神の命令を守っているからなのだろうか。命令を守ったから、神が私に対して応答して私を愛してくださったのだろうか。神の愛は、私のすばらしい愛に対する反応なのだろうか。断じてそうではない。出発点は神の愛なのである。それ故、向かうところは何かというと、神の愛なのである。その愛の関係が深められるという話なのである。
これは誰の神学的観点から見ても「わざの契約」を指してはいない。焦って解釈してこの最初のところを間違ってしまうようなことが決してあってはならない。いのちからアダムとエバは出発したのである。いのちの最高の状態にあって生きていた。その彼らが、神の命令を守るならばどうなるのかというと、そのいのちの関係がもっともっと豊かになるという話なのである。もっと祝福が大きなものとなる。もっと愛の関係が深められるという話なのであって、10節の「いのちへの戒め」という言い方の意味は、決して“行ないの契約”のようなものではない。
レビ記の18章5節も同じである。約束のカナンの地が与えられ、神の子どもとして養子にされたイスラエルもそうであった。申命記14章1節に、「あなたがたは、あなたがたの神、主の子どもである」とはっきり書いてあるように、イスラエルは神の子どもなのである。カナンに住むということは、新しいエデンの園に住むような話であって、確かに至聖所に入ることまでは許されていなかったが、神の天幕で礼拝を行なう特権が彼らに与えられていた。イスラエルは、神の特別な民であり、特別な祝福の契約が与えられていた。イスラエルは、恵みの祝福の中に立っていたのである。それがイスラエルの状態であった。それで、レビ記18章5節の「神の定めを守る者は、それよっていのちの中を歩む」という言い方は、ちょうどヨハネの福音書14章21節と同じことなのである。「神の戒めを行なう者は祝福される」ということがポイントなのである。
レビ記では「いのちからいのちへ」となっているが、ヨハネの福音書では「愛から愛へ」という話になっている。しかし、その愛は、決して私たちが行ないによって神からもぎ取ったものだということではない。いのちもそうである。いのちは、アダムとエバが命令を行なうことによって神から功績として取るものではない。この箇所の原理はパウロの書簡に見られるものと全く同じなのである。「いのちへ」の命令は、いのちを更に豊かに与え、更に深く、そのいのちの祝福が与えられていく、ということをパウロは言っているのである。それは、もともとアダムとエバに与えられていた状態である。神は創造の時から人にいのちと愛を豊かに与えられた。神の戒めに従うことは、その関係における成長、つまり、いのちと愛をより豊かに楽しむことを意味していたのである。
キリストに対する従順が法的な功績ではなく、愛に愛をもって応えるものであるのと同様に、アダムとエバは、神に対する愛の表現として従順をもって神のいつくしみに応えるよう命じられたのである。服従こそが、神の御子、アダム、そして天の御父との間のより深い交わりへの道であったのである。そして、それはクリスチャンである私たちの状態でもある。神が私たちに律法を与えてくださったのは、「いのちへ」の命令として与えてくださったのである。
神の命令を守ることによって、更に深くいのちの道を知り、もっと神に近づき、神との交わりは更に深くされていく。神の命令はいのちに至る道なのである。それは神と神の寵愛を喜ぶ道を示しているからである。神の命令は、私たちが創造された目的にかなう者となるように導く。神のために働くことをそれゆえに楽しむ道を示しているのである。功績はこのフォミュラーの一部を形成するものではない。ただし、信仰を捨て、神の家族から抜け出て、律法の下に来るその時、ただその時にのみ、罪人は自らの行ないに値するものを受けるのである。それはいのちではなく、永遠の死である。
同じ譬えを何度も使って申し訳ないが、想像力もあまりないので、もう一度話すが、父と母が子どもに命令を与えたときに、その子どもが命令を守らないならば、父と母はその子どもを叱ったりペンペンしたりして、なぜその事を禁じたのかを長く説明したりして、あまり楽しくはない交わりを持たなければならないことになる。それも“交わり”であり、そしてそれは実に尊い交わりなのである。そのように子どもの問題を取り扱うとき、父と母は、ただの重荷として感じたりしてはいけない。それは交わりである。しかし、一番楽しい交わりではない。子どもが命令を守るなら、父と母がその子に祝福を与える機会となるので、父も母も大喜びである。心から子どもに与えたいからである。父と母はその子を祝福して、もっと心を開いて話したりして、文字通りそれはすばらしい交わりになる。命令を守れば守るほど、父と母は命令を口にしなくてもよくなるのだ。
何が正しいのか、何が正しくないのかを、子どもが解ってくれるならば、父と母はいちいち命令を言う必要がなくなる。子どもはずっと豊かな祝福を得て生きることになる。しかし、解ってくれなければ、繰り返し繰り返し言わなければならない。叱責がついて回ることになる。それは、親なら誰もが経験していることであろう。従わない子どもに対して、親はしつこくならなければならない。それも一つの交わりであり、大切なことであり、最終的に子どもには有益である。それも悪いことではないが、最高の交わりとは言えない。
それと同じように、父なる神は、私たちの罪を取り扱わなければならない。罪を取り扱うときの交わりのレベルとはそのようなものとなる。神は、私たちにもっと豊かな祝福を与えたいのである。もっと親しい交わりを持ちたいのである。私たちが、神の御国のビジョンをもっと確固たるものとして心の中に持って、それを喜び、そのために実を結ぶような働きがもっともっとできるようになることを、父なる神は望んでおられる。しかし、罪を犯しているとき、私たちは、神の御国のビジョンに目を留めたり、神との愛の交わりを楽しんだりはできない。常にその罪が取り扱われるような関係になる。その大きなすばらしいビジョンに目を留めて喜び楽しむよりも、悔い改めて、もう一度立って歩まなければならない。それで、神との関係は、七回転んでも八回起きるような関係になるわけである。それも尊い取り扱いであり、そのように取り扱ってくれることは感謝である。
倒れては立ち上がらせられ、倒れては起こされるのでなければ、ただ倒れたままになってしまう他ない。神は、倒れた私たちの問題を取り扱ってくださって、「悔い改めて、立ちあがりなさい。そして、前に進みなさい」と、私たちに言わなければならない。何度も何度も倒れるような歩み方ではなく、足腰を健やかにして歩むようになったなら、地平線の彼方にあるすばらしいビジョンを見て、神とともに歩むのである。新しいエルサレムが、その地平線の向こうにあって輝いている。いつも地面を見て歩いている人は、土の塵しか見えない。神の都が輝いているのに、それに目を留めることができないのである。
そういう人は、目をあげて、神の御手に引かれて歩むよりも、自分で相も変わらず地面を見て歩いている。何度も転んで、顔まで土の中に突っ込んでしまう。自分では気を付けて歩いているつもりなので、いつも下を見て歩いている。そのような人は、その大きなすばらしいビジョンが見えない。何のために救われたのか、何のために生きているのかがわからない。神の都のビジョンのすばらしさを楽しむこともできずに、土を見て歩いている。山を登っていて、周りのすばらしい景色に目を向けもせずに、ただ下を見て歩いているような人である。山の頂きが見えているのに、それを見ようともしない。そのような人は、罪との戦いを実に低いレベルでやっていることになってしまう。
「いのちへの命令」というものは、守ることによって、どんどんはっきり見えてくるものである。それとも、遠いところに霧が立ちこめているように見えると言うのか。実は、そこには霧なんかないのである。“霧”は自分の目の中にある。或いは、あなたの眼鏡が曇っているのである。その霧は、自分の中にあるのだ。神の命令を守れば守るほど、その老眼は癒されて、神の都の輝きがはっきりと見えてくる。パウロの言葉を、そのように理解してよいと思う。だから、結論として12節でパウロはこのように言う。
ですから、律法は聖なるものであり、戒めも聖であり、正しく、また良いものなのです。
これが結論である。律法は罪なのか。いいえ。決してそういうものではない。むしろ、その聖い正しい律法がなければ、私は、実に汚れた罪人であるのに自分の罪を何一つ知らなかったであろう。律法によって目覚めさせられなければ、自分がどんなに罪深い者であるのかを悟りはしない。その聖く正しい律法が与えられたことによって、私は自分の罪を見たときに、自分は神の御前で死んだ者だということを知ったのである。自分は、罪咎に満ちた者であり、死ぬべき者であることがわかったのである。
その律法の役割はクリスチャンにとってどんなものなのかを今日話す時間がもうないので、来週続けてこれを学ぶことになるが、私たちは神の律法という鏡を見るとき、その中に自分の罪を見て、自分が神の御前にどんなに聖くないものなのかを知らされ、悔い改めなければならないことを教えられるのである。律法を聖なるもの、良いものとして受け入れることによって、私たちは悔い改めへと導かれる。そして、悔い改めて立ち上がり、正しく歩むことによって、神との親しい交わりを持つことができるようになり、お互いの交わりも更に祝福されたものとなる。使徒信条において「聖徒の交わりを信ず」と告白しているのは、神との交わりが前提となっていてお互いの交わりが成り立つというものである。
聖餐式において、私たちは神との非常に大切な交わりが与えられている。結局のところ罪人でしかないので、悔い改めること自体を避けてしまうような生き方をしてしまいがちなものである。しかし、聖餐式においては悔い改めは避けられない。罪を捨てて、神との契約を新たにする。神を喜び、神を求める心を、新たにするのである。それは私たちにとって非常に大切なことなのだ。そういう意味で、教会として毎週聖餐式を行なっているのは実に大きな祝福である。週に一回そうすることは自分にとって非常に大切なことだということを、私たち一人ひとりが感じるところである。聖餐式において、私たちは神の律法の祝福を喜ぶものである。神の律法の祝福を喜び、自分の罪を悔い改め、主イエス・キリストの十字架を覚えて、一緒に聖餐式を受けたいと思う。
――2000年3月19日――
著 ラルフ・A・スミス師
編集 塩光明長老
著者へのコメント:shiomitsu@berith.com