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    エペソ人への手紙5章22〜33節


    夫たちよ。キリストが教会を愛し、教会のためにご自身をささげられたように、あなたがたも、自分の妻を愛しなさい。

    96.03.03 三鷹福音教会 ラルフ A. スミス牧師 講解説教
    ラルフ・A・スミス師の講解説教を要約し補完する「三鷹福音教会・週報」からの転載です。

    キリスト者の夫

    夫たちは、「キリストが教会を愛されたように」妻を愛するよう命じられている。キリストは教会をどのように愛されたのか。十字架上で教会の罪のために死ぬことによって、である。 我々はいかにして十字架を理解するのか。神の律法の教えをよく学ぶことによって、である。律法全体はキリスト御自身をその中心また目的として持つ。すべての夫婦に関わる律法の究極的な意味は、特にキリストと教会との関係にある。そういうわけで、我々はキリスト者の夫が見習うべきキリストの御自分の教会に対する愛についての洞察を得るために旧約聖書の律法に戻る必要がある。モーセの五書において強調されている次の三点に注目したい。1) 花嫁料と持参金に関する律法; 2) 権威の乱用に関わる律法; 3) 家庭における夫の代表としての役割に関する律法。

    花嫁料と持参金

    聖書では、花嫁料は妻を買うための費用ではない。妻とは決してそのような意味の所有物として考えられているのではない。むしろ、贈り物としてその女性の家族に支払われた花嫁料は、婚約の段取りの中では重要な部分である。持参金は父親から花嫁への贈り物であり、娘の相続に代わるものであった。ゲィリー・ノース (Gary North) が指摘しているように、花嫁料は少なくとも三つの役目を果たした。一つは、女性に結婚を申し込んでくる男性をふるいにかける働きをした。二つ目に、それは花嫁の将来の保証金である持参金の基礎となった。三つ目は、花嫁の父親に対する服従のシンボルであった。

    一番最後の、花嫁料は花嫁の父に対する服従のシンボルであった、というところから始めたい。娘は契約的にその父の権威の下にいる。これは誓いに関する律法において見ることができる。そこでは、女性はその父または夫の許可なく誓いをすることはできないことが規定されている。誓いによって生じたいかなる義務であろうと支払いの最終的責任を持つのは男性であるため、男性にはその誓いを否認する権限をも与えられているのだ。娘も妻も男性の権威の下におり、それゆえ彼は彼女たちの行為に責任を持つ。父親から夫への権威の移行としての結婚は、父親の権威を認める儀式を含む婚約の手続きで始まる。夫となる者は、娘と結婚するために花嫁の父から許可を得なければならないだけでなく、自分の家族とともに、その父親への花嫁料を交渉し、支払うというプロセスをも通らなければならない。

    父親が求婚者を良しと認めるなら、花嫁料は受け入れられる。花嫁の家族に支払われるそのお金は彼女の持参金の基礎となる。娘の持参金は花嫁料よりも多くも少なくもなり得るが、ほとんどの場合、だいたい同額であっただろう。言い換えれば、通常の結婚では花嫁料は花嫁自身に渡される。このお金は彼女のものとなる。これは、夫が死んだり、災害に遭ったりしたときの保険金のようなものだ。もし彼女が十分な金額を持っていれば、箴言31章が示すように、彼女はそのお金を投資したり、自分の商売・事業を持つこともできる。

    花嫁料の金額はその家庭によって異なる。裕福な家庭は多額の花嫁料を請求するであろうし、貧しい家庭なら少ない額を要求したであろう。若い男性がある女性と結婚を望むなら、彼は花嫁料を高くすることによって自分の価値を証明しなければならなかったのである。たとえそれが相続したものであっても、彼の支払い能力は娘を将来養っていく者としてその若者の推薦状のような役割を果たしたのである。

    古代イスラエルの花嫁料制度は、夫の妻に対する経済的責任を指し示すものだ。例外的な状況は別として、男性は働いて自分の家庭を養い、妻が主婦兼母親――多くの男性の仕事よりも深い社会的意義を持つフルタイムの仕事――となれるよう解放するのである。

    キリストもまた、教会と結婚をするために花嫁料を支払われた。罪のゆえに教会は死に定められていたが、教会のための花嫁料は、彼女を罪から救い出すために支払われた贖い金であった。キリストの十字架上の死は、教会を御自身の花嫁とする花嫁料であったのだ。また、キリストが花嫁料を支払われたゆえに、教会は豊かな富をもって祝福されているのである。

    権威の乱用に関わる律法

    モーセの五書の中で興味深い律法の一つは、自分の妻を中傷する夫についての律法である (申22:13以下)。ある夫が自分の妻について、結婚したとき処女ではなかったという偽りの主張を公に言うなら、 彼は彼女の父親に対して多額の罰金を課せられ、彼女が今後何をしようと――もちろん姦淫のような犯罪行為は含まれないが――彼女を離婚することは禁じられる。彼女は彼に従わず、家の仕事をすることを拒み、自分のやりたいように家を空けたり、また同居さえ拒むかもしれないが、彼には彼女が死ぬまで彼女に対する経済的な責任がある。彼は衣食と結婚の義務を彼女の望むままに果たさなければならない。

    この律法は、夫の権威を乱用する者にその権威を女性に与えることによって罰する。目には目を、という原則の適用なのだ。現代社会は女性たちをその夫の虐待から守る同様の法律を持つべきであるが、我々のいわゆる解放の時代においては、このような聖書の知恵は軽んじられており、結局男性も女性も奴隷状態にいる。

    この律法の基本概念は、ペテロの教えのうちに含まれている。「同じように、夫たちよ。妻が女性であって、自分よりも弱い器だということをわきまえて妻とともに生活し、いのちの恵みをともに受け継ぐ者として尊敬しなさい。それは、あなたがたの祈りが妨げられないためです」(1ペテ3:7)。妻は理解と尊敬をもって扱われるべきだ。夫が妻を正当に取り扱わないなら、彼の祈りは妨げられる――つまり、彼がその妻を扱うように神は彼を扱われるのである。妻を虐待する夫は神からの祝福を得ることはない。キリストが教会を愛し、これを憐れみ深く扱われるように、夫もその妻に対し情け深くあるべきである。

    霊的指導者

    夫は家庭の牧師であり祭司である。アメリカにおける傾向や、おそらく日本における傾向にも反して、聖書の宗教は男性のなすべきことである。パウロは、女性は教会で語るべきではなく、家に帰ってから夫に聞くように、と言っている (1コリ14:35)。この箇所の文脈では、異言を語ることやコリントの教会の特別な問題についての話であるが、夫が妻を教える霊的なリーダーであるという事実は、聖書的な結婚の型としてこの箇所の前提にされている。

    律法の中で、男性は年に三度家族を代表して主の御前に出ることが要求されていた。すなわち、過ぎ越しの祭り、五旬節の祭り、仮庵の祭りである。彼らは家族の祭司の代表として神を礼拝し、神の律法を学ぶためにやって来た。そうやって家庭の教師として家庭に戻ることができるためであった。女性が来ることも許されているが、義務づけられてはいなかった。礼拝は男性と等しく女性の義務であるが、宗教に関わる事柄において指導をするのは、明らかに男性の責任である。

    キリストは「みことばにより、水の洗いをもって」(エペ5:26) 教会をきよめて聖なるものとされたとパウロは言い、夫に要求される霊的に指導する立場を指摘する。キリストは教会を愛し御恵みをもって教会が霊的に大人となるよう導き給うのだ。

    今日の夫たち

    女性が子供たちを置いて働きに出ることが普通とされ (少なくともアメリカでは)、妻を殴るなどさまざまな形の虐待も珍しいことではなく、また霊的な指導も敬遠されている時代には、キリスト者である夫たちは異質であることが要求される。我々は経済的責任を真剣に捉え、妻を子供たちの訓練のために解放しなければならない。多くの男性が今日妻を虐待していると同時に、指導、尊敬、理解を怠ることによって妻の生活を悲惨なものにしている者も多くいる。妻がよりきよく、より知恵ある者となることができるように尊び、キリストにあって成長するよう彼女を助けることは、キリストが教会のためになすことであり、夫たちが妻のためになすよう召されていることなのだ。


    著 ラルフ・A・スミス師 
    訳 工藤響子
    著者へのコメント:kudos@berith.com
     

    エペソ人への手紙5章32節

    エペソ人への手紙5章22節

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