HOME
  • 福音総合研究所紹介
  • 教会再建の五箇条
  • ラルフ・A・スミス略歴
  • 各種セミナー
  • 2003年度セミナー案内
  • 講解説教集

    ローマ書
      1章   9章
      2章  10章
      3章  11章
      4章  12章
      5章  13章
      6章  14章
      7章  15章
      8章  16章

    エペソ書
      1章   4章
      2章   5章
      3章   6章

    ネットで学ぶ
  • [聖書] 聖書入門
  • [聖書] ヨハネの福音書
  • [聖書] ソロモンの箴言
  • [文学] シェイクスピア
  • 電子書庫
    ホームスクール研究会
    上級英会話クラス
    出版物紹介
    講義カセットテープ
  • info@berith.com
  • TEL: 0422-56-2840
  • FAX: 0422-66-3308
  •  

     

    ローマ人への手紙15章14節


    15:14 私の兄弟たちよ。あなたがた自身が善意にあふれ、すべての知恵に満たされ、また互いに訓戒し合うことができることを、この私は確信しています。

    2002.07.14. 三鷹福音教会 ラルフ A. スミス牧師 講解説教
    三鷹福音教会の聖日礼拝メッセージおよび週報をもとに編集したものを掲載してあります。


    ローマ書を書く

    15章14節

       15章14節から16章の27節までは、ローマ人への手紙の最後の部分で、比較的に長い箇所である。ここでパウロは、なぜこの手紙を書いたかについて語り、ローマの教会の人々に挨拶を贈り、祝福の言葉をもってローマ人への手紙を終わらせている。16章は殆ど挨拶になっている。パウロは15章の終わりの部分でこの手紙を書いた理由について説明し、スペインに行く途中でローマに寄るつもりでいることを話してから、16章で挨拶の言葉を書いている。いま私たちは、ローマ人への手紙の“教え”の部分を終わろうとしている。そして今、その最後の挨拶のところに入ったということをまず理解していただきたいと思う。

       今日は、15章14節からのところを学びたい。そこでパウロは、「私は所々、かなり大胆に書いた」と15節で言っている。つまり、パウロは、普通なら誰も行かないような所に行って、そこで教会をゼロから築く働きをしていた。使徒として、できる限り広く福音を広めるために働いているのである。使徒たちに対する主イエス・キリストの命令は、「あらゆる国々を弟子としなさい」という命令であった。全世界を弟子とすべく、福音を宣べ伝えることが弟子たちの務めである。

       パウロは、使徒としてその働きを重んじて、それをしようとしている。それは使徒たちにとって特別な働きであり、特別な意味があった。だからこの箇所には、単なる挨拶以上のものが含まれている。パウロは自分の宣教哲学に触れているのである。使徒であることが彼にとって何を意味していたのかを理解させようとしている。

     

    使徒の働き

       使徒全員が同じ種類の働きをしていたわけではないが、それでもパウロ以外の働きについても、この箇所から洞察が得られると思う。また、使徒たちの教会全体の概念と一世紀の教会の成長についての考え方をも得ることができると思う。この箇所にも出て来るように、使徒たちには奇跡を行なう賜物が神から与えられていた。使徒たちは町々に行って福音を宣べ伝え、奇跡を行ない、「私たちは、メサイアであるキリストの使徒である」ということを人々に宣言して、できる限り広く福音が広められるように働いていた。実際にパウロは、コロサイ人への手紙1章6節で次のように言っている。

    この福音は、あなたがたが神の恵みを聞き、それをほんとうに理解したとき以来、あなたがたの間でも見られるとおりの勢いをもって、世界中で、実を結び広がり続けています。福音はそのようにしてあなたがたに届いたのです。

       ここでパウロは、「世界中で、実を結び広がり続けています」という言い方をしているが、「福音がコロサイに来たのは、それが全世界に広がっていくためである」と言っているのである。なぜ「全世界で福音が広まっている」と言えるのか。その考えの根拠を説明するために、21節でパウロはイザヤ書52章15節を引用している。

    彼らのことを伝えられなかった人々が、見るようになり、聞いたことのなかった人々が悟るようになる。

       このイザヤ書からの引用によってパウロは、自分が語っていることは単なる個人的な考えや働きを正当化しようとしているのではなく、それよりもはるかに奇しい事柄に私たちが直面していることを示唆している。恐らく他の使徒たちもパウロと同じことを考えていたはずである。12人の使徒の中でローマ帝国内に留まった者は少なく、パウロの他にはヤコブ、ペテロ、ヨハネだけであった。他の使徒たちは、教会の伝承によれば、アンデレはシリア、ギリシャ、小アジアとの関わりがあったようである。

       ピリポに関する言い伝えはさまざまで、ギリシャに行ったと言う者もあれば、シリアに行ったと言う者もいる。ヨハネの福音書でナタナエルと呼ばれるバルトロマイは「インド」で働いたと言われているが、古代世界における「インド」という言葉の使い方には明らかな違いがあるために、その伝承で「インド」と呼ばれているのが私たちの知るインドかろうかは、厳密にははっきりしない。トマスはペルシャに行って福音を伝え、東方キリスト教の広がりにおいて最も重要な町の一つであるエデッサで死んだようである。トマスはまた、南インドに教会を設立したと信じられている。

       マタイはキリストの死後、エルサレムに15年間留まったと伝えられているが、その後ペルシャかその周辺で宣教したようである。また、エチオピアにいたとも言われている。熱心党のシモンはアフリカで宣教したようだが、彼がユダヤで死んだという言い伝えもある。シモンに関しては、その二つの伝承が矛盾するものと考える必要はない。ユダ(タダイ)に関する伝承は定かではないが、その名はアッシリア、シリア(エデッサ)、ペルシャで伝えられている。ヨハネの兄のヤコブは、12人中で殉教者となった最初の人で、ヘロデによって殺されたが(使徒行伝12章2節)、スペインで福音を宣べ伝えていたという伝承もある。宣教旅行から戻ったのちに殺されたという見方も可能である。ヤコブについてはあまり知られておらず、推測も僅かである。

       そういうわけで、ペテロはエルサレムに留まっていたけれども、他の使徒たちはキリストの命令のとおりに、出来るだけ広く“全世界”に出て行き、誰も行ったことのないような所に行って積極的に福音を宣べ伝え続けていた。細かい歴史的な証明をここで提示することができるわけではないが、長年日本で宣教の働きをしていた学者が「福音は紀元60年までには中国に入っていた」との研究発表をしており、「二世紀頃には日本にも福音は入っていた」とも発表している。その可能性は十分に有り得ると私は思う。そして、南インドのトマス教会は設立当初から使徒トマスが設立したことが知られており、トマスは南インドで福音を伝えたりした後、次から次へと、誰も行ったことのない所に入って行って福音を伝えていた。自分だけでなく、他のクリスチャンたちをも色々な所に送ったようである。

       どの伝承がより信憑性があるかはさておき、これら昔の伝承からの極めて短い説明において言えることは、主イエス・キリストの使徒たちが頻繁に遠方まで宣教の旅をしたということである。確かに殆どの使徒たちはパウロに似た考えをもって宣教の働きをしていたと思われる。それ故、パウロの時代でも、「福音はある意味で全世界に広まっている」という言い方をしても少しもおかしくはない。使徒行伝の中に書かれてあるように、その頃にはアフリカにも福音は伝えられていた。ピリポがエチオピアの宦官に福音を伝え、その人がキリストを信じてエチオピアに戻った。そして「エチオピアの教会はその人が設立した」という伝承になっている。その教会がどうであったかの事実は別としても、その時からアフリカに福音が入ったことは事実である。エジプトと北アフリカでは、かなり早い時期に福音は入っていた。

       使徒たちはアジアにも福音を伝えていた。またパウロはヨーロッパにも福音を伝えていた。つまり、アジア、ヨーロッパ、アフリカ、インド、中国にまで福音は広められていたのである。ということは、北アメリカと南アメリカ以外は、パウロの時代に既に全世界に福音は広まっていたのだ。ただ北アメリカと南アメリカでは人口は非常に少なく、一世紀の頃にはまだそこまでは福音は届いていなかったかも知れない。しかし、「そこには弟子たちは行っていない」と主張することもできない。ローマ帝国は北アメリカ等とも貿易を行なっていたことが証明されているので、クリスチャンになったローマ帝国の商人たちがアメリカ大陸に福音を携えて行ったことは十分に考えられる。

       パウロの時代に、使徒と弟子たちは世界中のどこにでも出かけていって福音を伝え、可能な限りどこにでも教会を設立していったのである。彼らは恐らく「拠点となる教会」によって遣わされ、旅の合間にそこに戻って報告をしたり、援助を受けたり、次の宣教旅行の準備をしたりしたのであろう。もしこれが使徒たちが行なった働きについての筋の通った理解であるなら、彼らがともに最も人口の多い三大陸(アジア、ヨーロッパ、アフリカ)を訪れていたことは明らかである。彼らはそれを主イエス・キリストの命令として、忠実に守り行なったのである。出来る限り早く、広く、多くの所に、福音を宣べ伝えて行ったのである。

       そのような初代教会の宣教の働きを考えるとき、戦略として考えれば、ヨシュアの時代のカナン征服に非常に類似していたということがわかると思う。ヨシュアたちがカナンの地に入ったとき、あちらこちらで戦ったが、その戦った場所のすべてにイスラエル人は住み着いて管理するようになったかというと、そうでもなかった。ヨシュアの時代に、カナンの地に入り、あちらこちらで主な敵と戦って勝利を得たが、当時のイスラエルはカナン全体を完全に従属させるに十分なイスラエル人はいなかったのである。イスラエル人が戦って勝利した町々には、僅かのイスラエル人が住んでいて、戦に負けたカナン人が出たり入ったり、他の人たちも入ってきたりしていた。

       士師記の時代を見ると、まだ異邦人がたくさん残っていたことがわかる。そして、異邦人の中に住むイスラエル人たちは、異邦人の影響を受けたり妥協したりして、偶像礼拝に陥ってしまった。イスラエルのカナン征服は、カナン人たちを最終的にも完全にも従属させることはなかったのだ。ダビデの時代にイスラエルがエルサレムと戦ったのだから、異邦人はまだエルサレムを支配していたことがわかる。

       だから、ヨシュアの時代は、まず入って行って決定的な勝利を得る時代であった。その決定的な勝利の後に、イスラエルの人口がその地に増えていき、その地を完全に自分の所有にするために、ゆっくりではあるがより決定的な働きが継続されなければならなかった。続けて戦い、実を結ぶように働かなければならなかったのである。イスラエルの人口が増え広がるにつれ、だんだんとその地はイスラエルの支配下に置かれていった。ソロモン王の時代になって、やっとアブラハムの子孫たちは約束の地を制服した(第一列王記4章20〜21節)。実際のところ、カナン全体の征服は彼らの不忠実の故に大幅に遅れたのである(士師記1〜2章)。

       そういうわけでイスラエルは、ヨシュアの時代の決定的な勝利の後に、毎日の生活の戦いにおける勝利を得ること、そして最終的な勝利を得ること、その全部において勝利を得なければならなかったのである。最初の勝利に続いて、すでに決定的に与えられているものを実際に勝ち取っていくという長いプロセスがあって、それから最終的な勝利で終わるという流れは、神の御国の歴史全体に見られる展開なのである。私たちの救いも同じようなことが言える。救われた時、それは決定的な救いであって、100%救われたのである。キリストは十字架上で決定的な勝利を収められた。キリストを信じたとき、私たちには100%の救いが与えられたのだ。「50%だけ救いを与えたから、残りの50%は自分の努力で勝ち取りなさい」というものではない。100%の救いが与えられ、100%キリストのものとなったけれども、新しく生まれた後には成長していくための聖化論の期間があるのだ。

       救われた私たちには、毎日の生活の中にあってキリストの御国のために戦うという働きが与えられている。心の中の戦いもあるし、自分に与えられた賜物と恵みを神の御国のために正しく管理するという戦いもある。それから復活があって、最終的な勝利が与えられ、主イエス・キリストと共に永遠に御国に住まうのである。最初の勝利は決定的であった。そして勝利の過程として毎日の生活の中での戦いがある。それから最終的な勝利が与えれる。まさにイスラエルの歴史そのものである。まずヨシュアの時代に決定的な勝利があり、それからカナンの地の中で勝利者としてその地を本当に自分の所有とするための戦いを続けてしなければならなかったが、そこでイスラエルはつまずいてしまった。そのことは士師記の中で書かれているし、第一と第二サムエル記にもあるし、第一と第二列王記にも、イスラエルが実に悲愴なほどの失敗に陥っていく姿が記されている。

       それに似たようなかんじで、弟子たちの時代もヨシュアの時代のように、まず出て行って決定的な勝利を得るのである。それから教会は成長していき、全世界に広まっていき、聖化論に似たプロセスを経ていかなければならない。再臨までの世界史は、キリスト御自身が勝ち取られた御国を徐々にご自身に従順ならしめるように導いていく霊的な戦いの期間なのである。その再臨の時に、主イエス・キリストは最終的で完全な勝利をもたらされる。そのような同じ三つの展開があるのを私たちは見るのである。イスラエルがカナンを自分たちの所有にすること、そして私たちが全世界を主イエス・キリストの弟子にすること、また個人の救いのことにおいても、そこには基本的に同じパターンがある。即ち、決定的な勝利、毎日の生活の過程として得なければならない勝利、そして最終的な勝利である。

       それで、使徒パウロたちの時代はちょうどヨシュア記の時代のようであり、そのような方法で福音は広められた。使徒たちが行なった福音の伝え方を理解しているので、私はその真似をしようとは思わない。それというのも、ある人たちは、「今の時代でも、宣教師や伝道者たちはパウロと同じ方法でやるべきだ」と考えている。それだから、パウロが同じ所に短ければ数週間、長くても二年半しかいなかったので、それと同じように、ある所で半年とか、長くても二〜三年くらい働いて、それから別の所に行くというやり方で宣教の働きをする。一箇所で数週間とか数カ月働いたら、次の所に行くのである。そのように次から次へと働く場所を変えていく。「そのようにすべきだ」と考える人々がいるわけである。宣教師が来て英会話のクラスを始めて、英語を教えながら活動し、日曜日に10人くらい集まるようになると、宣教師は次の所に行ってしまう。そしてまた同じことを繰り返すのである。「そのように福音は広められていくものだ」と、彼らは考えるわけである。

       しかし、パウロの時代の使徒たちの福音の伝え方はそれとは違って、ヨシュアの時代と同じく、まず決定的な勝利を得るところの働きであった。ヨシュア記を読むと、神はイスラエルを導くときに、実に不思議な戦い方をさせているのを見る。エリコの戦いが良い例である。普通では考えられないような奇跡的な戦いを神はイスラエルにさせている。パウロの時代もそれに似て、「しるしとしての奇跡」をパウロも弟子たちも行なっていた。即ち、「契約のしるし」として奇跡を行なっていた。ヨシュア記の時代の後、士師記の中にも奇跡と呼ぶべき事が無くはないが、それは激減していた。ダビデの時代になると、しるしとしての奇跡はもっと少なくなっていた。勝利を得るか得ないかは明らかに神の契約の祝福にあるのは確かであるが、ダビデの戦いの中でヨシュアのエリコのような戦い方は皆無だったのである。

       普通の人が端から見れば、サウルが軍を引攣れてダビデを追跡して殺そうとしたが、ある知らせによってサウルは別の所に戻って行って追跡を止めたのを見ても、「これは奇跡だ」とは思わないであろう。それは普通の歴史の中にもありそうなことだからである。しかし、エリコの戦いは、完全に「奇跡」と言う以外には説明がつかない戦いであった。ただ城壁の周りを七週して勝ちどきを上げると、エリコの城壁は崩壊した。そのエリコの戦いは実にとんでもないものであった。奇跡以外には考えられない事である。他にも、ヨシュアが率いるイスラエルが戦いの最中に神はヨシュアの祈りに答えて太陽と月をまる一日止めて、徹底的に敵を打たせたというようなことも、ダビデの人生の中には見られないことなのだ。そういう意味で、質的に違う戦いであった。

       ここでパウロは挨拶をしたり、ローマに行く自分の奉仕について紹介したり、異邦人の間で福音を伝える自分の働きとはどのようなものなのかを説明している。パウロの話をよく観察すれば、これは新しい契約が設立される時代だということがよくわかると思う。モーセたちが新しい契約を設立し、モーセとヨシュアは奇跡を行なったり、実に特別で不思議な方法で契約の戦いを実践した。それらは特別なしるしであった。しかし、時間が経つにつれてモーセとヨシュアの時のような特別なしるしはなくなったのを見るのである。契約の設立のときは特別な時代なのである。一つの契約の時代の終わりに近くなると、またさばきのしるしと呼ぶべきしるしが出て来るが、それはモーセのようなものとは違う。

       サムソンがたくさんの人を一瞬にして殺してしまうとき、神の働きがそこにあることは明らかである。しかしそれは、モーセが杖を持って海を割って乾いた道を海の中に開いて、その間を二百万人以上ものイスラエルの民を渡らせたしるしとはぜんぜん比べ物にはならないのである。サムソンのしるしは、「契約のしるし」と呼ぶようなものではなかった。新しい契約の時代の初めに、或いは契約の時代の終わりのさばきのときに、神は奇跡をもって「契約のしるし」としてのわざを行なって、人々にご自分の契約の祝福と呪いをはっきりと表わしてくださる。それは歴史の事実としてはっきりとあらわされている。

       モーセからダビデの時代までは数百年間であったが、その間にずっと奇跡や契約の特別なしるしが続いていたわけではない。そして、ダビデの契約が与えられた時からダニエルの時代までがまた数百年間であった。ダニエルの時代からキリストの時代までもまた数百年間であった。聖書が書かれたのは基本的に四つの時代であったと言ってよい。モーセの時代、ダビデとソロモンの時代、ダニエルたちの時代、それからキリストとその弟子たちの時代である。それ故、最初の旧約聖書はモーセの時代のものであり、最初の新約聖書はダビデとソロモンの時代の新約聖書であると言える。次の新約聖書はイザヤから始まるダニエルたちの時代の新約聖書であり、その次に私たちが新約聖書と読んでいる新約聖書が与えられた。

       そういう意味で、創世記からマラキ書までが千何百ページあって、そこで一回切ってから、マタイの福音書から再び1ページに戻って始めるような聖書のあり方は完全に間違っているのである。新しい聖書が与えられたときに1ページに戻ると言うなら、ルツ記がまた1ページになったり、イザヤ書もまた1ページになったりということにしなければならなくなる。本当は黙示録まで完全な一つの書物なのだから、ページは創世記から黙示録まで一貫して数えるべきものだと思う。

       それと言うのも、御言葉が与えられている特別な時代が四つあったからである。いつの時代にも御言葉が与えられていたのではない。いつの時代にも特別な奇跡やしるしが与えられていたのではない。そのようなことは聖書の中にもないし、その後の歴史の中にもない。パウロの時代は特別な時代であって、パウロたちは特別な働きをしていた。そのことをパウロは私たちとローマの教会に対して説明しているのである。「私は、異邦人の中にあってこのように特別な働きをしてきた」と、パウロは言う。このローマ人への手紙の最後のところで、パウロは、「私はこのような福音の伝え方をしている」と説明するときに、「使徒たちに与えられた特別な働き」のことを説明しているのである。

     

    ローマ人の教会

       ローマの教会はパウロによって設立された教会ではないので、本来ならパウロはどんどん新しい所に行って福音の働きを広めるはずであった。自分が設立した教会ではないのに、このような長い手紙をなぜ書いたのか。それは、ローマに行って、ローマにいる信者たちと交わりを通して励ましを受けてから、スペインに行って伝道するつもりだからだと、説明している。ローマを訪問する前に、パウロは福音についての長い手紙を書いてローマの教会に励ましを与え、自分が行ったときにはローマの教会から励ましを受けて、スペインに行こうとしているのだ。ローマの教会にこの手紙を書いた目的の一つは、「キリストにある真の交わりを持ち、ローマの教会の助けを受けて、誰も行ったことのない新しい所に行って福音を伝えるためだ」とパウロは説明している。

       ローマン・カトリックは、「ローマの教会は使徒ペテロが設立したのだ」と言っているが、そうではない。ローマの教会は、コロサイの教会と同じような形で始まったのではないかと思われる。コロサイの教会もパウロが設立したのではない。パウロはエペソの行って、そこで福音を伝え、エペソの教会を設立した。そのエペソの教会に来て福音を聞いてキリストを信じた人たちが、コロサイに戻った時に福音を伝えて教会を設立したのである。だから、コロサイの教会はエペソ教会の言わば「枝」のような形で始まったのだ。ローマの教会も、ローマ帝国の至る所で福音がキリストの弟子たちによって伝えられていたので、その福音の働きによってローマ帝国のどこかでキリストを信じた人たちがローマに戻って生活するようになったときに、相集まってローマの教会を設立したのではないかと考えられている。

       そして、「ローマの教会」と言うとき、それは一つの家とかに集まっている一つの地域教会というよりも、幾つかの所で集まって礼拝を守っていた複数の地域教会を指していると捉えるのが自然だと思う。最後の16章に入ると、いろいろな人の名前が出て来るが、その人たちは他の所からローマに来たのだということがわかると思う。15章14節からの箇所を簡単に紹介するならば、そのような話になっていると思う。15章14〜15節の箇所でパウロは次のように言っている。

    私の兄弟たちよ。あなたがた自身が善意にあふれ、すべての知恵に満たされ、また互いに訓戒し合うことができることを、この私は確信しています。ただ私が所々、かなり大胆に書いたのは、あなたがたにもう一度思い起こしてもらうためでした。

       「かなり大胆に書いた」とパウロは言っているのは、自分はまだこの人々を一度も訪問したことがないいう意味なのだと思う。パウロは、14章と15章でローマの地域教会内の問題を取り扱っているが、まだそこに行ったこともないのである。恐らく教会員などから細かい事情について聞いてはいるけれども、実際に彼らと一緒に礼拝したこともないのに、このような手紙を書いて細かくその教会の問題について話したり取り扱ったりしているわけである。

       異邦人とユダヤ人のことについては、1章のところから既に触れているのだ。読めば明らかなように、パウロは自分の立場を十分に認識してこの手紙を書いている。確かに、パウロは使徒としてこの手紙を書いているのである。人間から使徒に任命されたのではなく、直接神からこの務めに任じられたのである。ある意味で、それは牧師や長老についても言えるけれども、「使徒たちとは質的に違う」という事実をはっきりと認識しなければならない。牧師や長老の場合には、パウロのようにダマスコに行く途中で主イエス・キリストご自身が彼に現われて直接任命したというような話ではないのである。質的にパウロに与えられた権威とは違うというのは明らかである。質もレベルも違う。

       同じように、「すべてのクリスチャンは預言者です」という言い方もできるが、それはエリヤとは次元が違うのだ。パウロは、全人類の歴史の中で十二人しか選ばれていない使徒の働きをしているのである。その特別な地位と権威を授かった使徒の一人としてパウロはローマの教会に手紙を書いているが、最後の段落に入ったところで、「私は大胆すぎることを書くつもりはありません」と前置きするのである。なぜそうするのかというと、主イエス・キリストがマルコの福音書10章で言っておられたことをパウロは守っているのである。キリストは、「異邦人の支配者と認められた者たちは彼らを支配し、また、偉い人たちは彼らの上に権威をふるいます。しかし、あなたがたの間では、そうではありません。あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、みなに仕える者になりなさい。あなたがたの間で人の先に立ちたいと思う者は、みなのしもべになりなさい」と教えたが、その態度をパウロにおいてはっきりと見ることができると思う。

       彼はどの教会に対しても、キリストに任命された使徒の権威をもって「私は使徒なのだから、黙って私の言うことを聞きなさい」と言うことができる立場にあったのに、そうせずに、敢えて彼らにつまずきを与えないように気を付けて話している。パウロがそのような配慮をもってローマの教会に語りかけている点に留意すべきである。ローマの教会は愚かな人間ばかりが集まっているわけではないし、異端的な集まりでもないので、パウロは、丁寧に主にある大人同士の話をしようとしているのである。

       この14節は私たちの教会では有名な箇所になっているはずだと思う。この節は、研究所の心理学ブループリント・コースの基本聖句の一つだったので、よく覚えている人もいると思う。クラスでは、ジェイ・アダムスの「カウンセリングの新しいアプローチ(Competent to Counsel)」という著書を教材にして一緒に学んだ。ジェイ・アダムスはこの聖句から引き出される考え方の基本について説明している。

       「あなたがた自身が善意にあふれ、すべての知恵に満たされ、また互いに訓戒し合うことができることを、この私は確信している」とパウロは言っている。つまり、「あなたがたが成長した大人のクリスチャンの集まりであることを、私は確信している」と言っているわけである。大人のクリスチャンとはどのような人のことか。その事を考えるとき、この節に簡潔にして単純な定義があるということを思い出していただきたい。

       パウロが言っている大人のクリスチャンとは、第一にまず「善意にあふれている者」である。「善意」という訳でよいと思うが、「心において善意である」というのが大人のクリスチャンの条件の一つである。あまりにも当然過ぎる話だと思う。「悪意」と呼ぶところにまでいけば、それはもう「信仰を捨てた」というような話になるので論外だが、「善意にあふれる」という言い方をするとき、その善意を持つことには非常に明白且つ深い意味があるのだ。未熟なクリスチャンは「善意のつもり」でいるが、成熟した大人のクリスチャンは「善意にあふれている」のである。その違いを理解していただきたい。

       「善意のつもり」と言うときに、もちろん悪い意図を持ってはいないし、他の人に対して悪いことを計ろうとする思いは毛頭無いのは確かにそうである。しかし、未熟なクリスチャンは、自分の心の状態さえもそれほど明白に理解してはいないものなのだ。「未熟」という状態には、自己中心的になったり傲慢になったりすることも含まれる。子どもたちには悪いが、子どもはその定義において未熟なものである。からだにおいても未熟だし、精神的にも未熟だし、知識とその適用においても未熟である。3歳から5歳の子どもを見れば、かなり自己中心が目立つものである。2歳の時から非常に思いやりにあふれている子どもはまずいない。思いやりを本当に深く持てるのは大人の話なのだ。つまり、それは戦って得るものなのである。

       確かに人によって戦いの程度は違う。誰もが自分の罪と戦わなければならないが、どのような罪に陥りやすいかは人によって違う。生まれながらに頭が良くて、運動神経が良く、性格も明るくて、顔もよくて、何をやっても初めから成功ばかりというような人は少ないが、そのような人間は皆無ではない。正反対に、何をしても失敗するし、鈍くて、頭も悪くて、顔もきれいではないし、人に「おはよう」と言うだけで皆に嫌われてしまうような人間も、いなくはない。一人一人に与えられている戦いは異なるものである。そして、「善意にあふれる心」を、たいして苦労もせずに自然に得てしまう人もいれば、とんでもない戦いを経てでなければ得られない人もいる。いずれにせよ、それは戦わなければ得られない心だというのは確かである。

       主イエス・キリスト以外には、その心は自然にあふれ出て来るものではないのである。人によって程度の違いこそあれ、例外無しに、善意にあふれる心を持つに至るまでの戦いというものがある。人によってはその戦いは他の人よりも激しいかも知れない。ただ「善意のつもり」というなら、すべてのクリスチャンはそのつもりなのだ。本当の意味で善意にあふれて、善意を持って歩む心を得るのは、むずかしいことなのだ。

       「むずかしい」と言うのは、その中には識別力も含まれるからである。「識別力も含まれる」とはどういうことなのか。その良い例として「パウロは善意にあふれる大人のクリスチャンだ」と言うことができるが、そのパウロは、悪者に対しては非常に厳しいのである。「善意にあふれる」と言うとき、イメージとして人々は、何でもかんでも「ああすばらしいですねえ。いいですねえ」と言ってばかりいるような人を想像するだろうが、そうではない。パウロはピリピの教会に対して、次のように言っている。

    私は祈っています。あなたがたの愛が真の知識とあらゆる識別力によって、いよいよ豊かになり、あなたがたが、真にすぐれたものを見分けることができるようになりますように。またあなたがたが、キリストの日には純真で非難されるところがなく、イエス・キリストによって与えられる義の実に満たされている者となり、神の御栄えと誉れが現わされますように。

       真の愛には識別力がなければならない。だから「善意にあふれる」とは、すべてが善ばかりだと思って生きるような話ではない。識別力を捨てて、「私は善意を持っていますから」と言う話ではない。それは自己満足であり、自分を騙すことに他ならない。深く考えないように、自分を騙して、「何が何でもとにかく良いことだけ考えましょう」という生き方は、現実離れした生き方である。「善意にあふれる」というのは、現実離れした心を持つことではない。パウロは極めて現実的な人間である。そのパウロが、ガラテヤの教会に対しては、「善意にあふれなさい」と言わずに、「あなたがたはそれでもクリスチャンなのか。信仰を捨ててしまったのではないか。これはとんでもない事だ」と責めている。本物のクリスチャンなのかどうか定かではないほどの深刻な問題をガラテヤの教会は抱えていたからである。

       一方では、あれほどに罪に堕ちているコリントの教会に対して「兄弟たち」と呼ぶのである。なぜなのか。それは、甚だしく未熟ではあるが、福音の基本をコリントの教会は否定していないからである。罪に堕ちているけれども、それがどこから始まったのかということをパウロは見ている。どのような環境の中にあるのかも見ている。「あなたたちは、そのような環境にいて、そのような出発をしたが、福音を信じているつもりでいるのに実に愚かで未熟な者です」と、パウロはコリントの教会に話している。「あなたたちは、まるで赤ちゃんのように愚かです。けれども、あなたがたはキリストにあって私の愛する兄弟です」と励ましている。

       ガラテヤの教会に対しては、「あなたがたはクリスチャンなのかどうか私にはわからない。しっかりしなさい。そうでなければ、さばかれますよ」とはっきり叱責するのである。ピリピの教会に対する手紙も、コロサイへの手紙も、コリントへの手紙も、それぞれに違うのである。識別力を持って、善意にあふれて、パウロは人々に、心から神の栄光を求めて各教会に手紙を書いているのである。「善意にあふれる」とは、パウロのようなクリスチャンになることだと言ってよいと思う。ただ単に良い意図を持つという意味だけでなく、これは識別力のある愛を要求する話なのである。「善意を持つつもりでいる」という点では、すべてのクリスチャンが例外無しにそうであるはずだ。クリスチャンなら誰でも他の人々に対して正しい心を持とうと努力するものだ。しかし、「善意にあふれる」と言うとき、それはかなり成長した者になることを意味しているのだ。

       パウロが、「あなたがたがそのような者だということを私は確信している」と言うとき、皆が同じレベルだと言っているのでないのは当然である。しかし、ローマの教会が地域教会として、成熟した大人のクリスチャンの集まりになっていることをパウロは認めている。それは、彼らが「クリスチャンである」ということが何を意味するのかを知っており、その告白と一貫した生活を送っていたからである。また、契約の祝福と神の栄光を広げようという断固とした意志がローマの教会を特徴づけていると言えるほどに明らかであったからである。勿論、コリントの教会には大人は一人もいないとは言っていないが、グループとして見るなら、まだ未熟で愚かで赤ちゃんなのだと、パウロは言っているのだ。

       それで、個人に霊的なレベルや性格があるのと同じように、グループにも同じく「性格」や特徴があることに気が付かされる。家族についてもそれは言えると思う。言わば“家族の文化”と呼んでもよいものがある。同じように、地域教会についても言えることである。パウロは手紙の中で、実際にそのような話しをしている。「あなたたちは大人の教会です」と言うとき、一人も未熟者がいないと言おうとしているのではないのは、当然すぎるほどに当然である。それは、「識別力をもって、愛をもって、神の御国に目を留めて、真剣に主イエス・キリストの栄光を求めている」ということなのだ。

       「善意にあふれる」ということは、結局のところ、神の祝福をすべての隣人のために求めることである。そして「善意」とは、人間関係について話しているのであって、「神に対して善意を持つ」とは言わないのである。また、教会員同士が互いを本当に祝福し合う心を持っているなら、それが「善意にあふれること」なのだ。

       「すべての知恵に満たされて」という言い方だが、この「知恵」と訳されている言葉は、「知恵」というよりも原語では「知識」という言葉である。ギリシャ語では、ただ「グノーシス」と言っているので、ここは正確には「すべての知識に満たされて」という訳になる。新契約聖書では「知識」と訳されているが、他の日本語訳ではなぜか「知恵」と訳されている。ギリシャ語のこの言葉は、「知恵」と訳すことのできる言葉ではないのだが、恐らく「すべての知識」と訳したら、それは神以外には言えないことになるので、変な誤解を避けるために「すべての知恵」と訳したのかも知れない。つまり、それは解釈が入っての訳になっているのだと推論される。しかし、これは明らかに「知識」という言葉なので、その言葉を使いたい。

       「すべての知識に満たされている」とはどういうことなのかを考えるとき、当然ながら前後関係から見なければならない。ここでパウロは、熱力学の第二原則についての知識を持っているか否かとか、現代物理学の知識を皆が持っているかどうかを話していないのは明らかである。「車でもコンピュータでも、何でも作ろうと思えばそれを作ることのできる知識を持っている」と言っているのでないのは明白である。ここで言う「すべての知識」とは、キリストの福音に関する知識のことなのだ。「御言葉をよく知っている」という話なのである。だから、御言葉から話すとき、パウロは聖書のあちらこちらから引用するが、それをどこから引用しているのかをいちいち細かく説明しなくてもよいわけである。知識のある人は、パウロが引用した聖句を見て考えれば、「なるほど。パウロはこのためにその箇所を引用しているのか」と、わかるはずなのである。

       ある人たちは、まだ救われていない求道者や救われたばかりのクリスチャンに「どうぞローマ人への手紙を読んでください」と勧めているが、それは別に悪いことではない。この中には福音の基本があるからである。しかし、「ローマ人への手紙はけっこう難しい手紙だ」ということも言わなければならない。ローマ人への手紙は、聖書の知識が何もない人のために書かれたのではなく、知識を持っているクリスチャンのために書かれた手紙なのだ。それは、この所を見ればよくわかると思う。聖書に基本的な知識を持っている人がローマ人への手紙を読むなら、「なるほど。パウロはここでアブラハム契約のことを話しているのだな」とか「ここはダビデの契約を指しているのだな」と、わかるわけである。

       義について語るときも、アブラハムとダビデを一緒にして話すのは、旧約聖書にある大きな二つの契約と義認の話を一緒にしているのだなということが、わかるわけである。聖書の知識がほとんどない人が読むときには、「アブラハムとは誰ですか」とか「契約とは何ですか」「義認って何」という話になってしまうだろう。そのレベルの知識しかない人がローマ人への手紙を読んでも、とても細かい意味まで理解はできないのである。そうであっても、注意して読むならば、大筋を知ることはできるかも知れないので決して無益ではない。つまり、「自分は罪人なのだ。キリストがその自分の罪のために死んでくださった。だから罪人は、キリストを信じるならば救われる。罪から解放されて永遠のいのちを受ける者となる」という単純なレベルにおいては、読めばわかるはずである。

       ローマ人への手紙は非常に論理的に書かれているので、言いたいことはだいたいわかるのではないかと思う。しかし、旧約聖書のことをよく知らないと、本当にパウロがこの手紙で伝えようとしていることを正しく理解するのは困難である。創世記は聖書の最初の書物であり、聖書は創世記から始まっている。だから、御言葉の学びは、そういう意味で創世記から始めるのはとても大切なことだと言える。しかし、創世記から書いてあることについて何の知識もなく、理解してもいないなら、いきなりローマ人への手紙を読んだのでは、実に浅い表面的なことしかわからない。ローマの教会の人たちは聖書(旧約聖書)をよく知っていたのである。それがローマ人への手紙を書いた前提の一つになっているとも言える。

       ローマ人への手紙が書かれた時点ではマタイとマルコの福音書は既に書かれていたので、「聖書の知識がある」と言うとき、旧約聖書だけでなく福音書をも少し知っている人たちがいたのではないかと思われる。まだルカとヨハネの福音書はなかったと思う。基本的に彼らが持っていた聖書は旧約聖書しかなかった。だから「すべての知識に満たされている」と言っているは、「旧約聖書をよく知っている」ということである。御言葉をよく読んでおり、よく理解している。これは、成熟した大人のクリスチャンのもう一つの条件である。

       知識というものは、大人ならば当然持っているはずのものなのだ。そして、聖書の知識について言うなら、クリスチャンであれば誰もが持つことのできる知識である。学者レベルの知識は別になくともよい。聖書を良く読み、聖書に書いてあることをよく知り、それを心に刻んで忘れず、いつもそのことについて考えたり、自分に問いかけたり、実際に生活に適用することができるというレベルならば、特別に高い教育が要求されるわけではない。

       実は、子どもたちが旧約聖書の歴史の書物を読むときに、お父さんやお母さんを困らせるような質問をすることがある。細かいところにまで気付いて「これがここにあって、あれがここにあるのは、どうしてなの」と聞かれて、親は、「あれ。これは考えたことがない。気が付かなかった」と思うことがしばしばあると思う。私も例外ではない。よく聖書を勉強しているにしても、子どもたちが気が付くところは実におもしろいものである。歴史的な書物を子どもたちが幼少の頃から読み、大人になっても続けて読み、よく考えながら読むなら、聖書の知識は頭に入るはずである。心にも残るはずである。子どもでも頭に入るはずである。子どもも、大人も、聖書の知識を得ることができるはずなのである。

       当時のローマの教会では、まだ皆が自分の聖書を持ったり、家に聖書があったりしたわけではないので、皆が一緒に集まるときに、誰かが二時間でも三時間でも、あるいはそれ以上の時間をかけて声を出して聖書を朗読したりしていた。信者たちは御言葉を読むよりは、「よく聞いていた」と言ってよい。熱心に聞いては心に留めて、よく考えたり瞑想したりしていた。ともかく、「聖書をよく知っている」というのは、クリスチャンの大人の条件の一つである。知らないならば、求めなさい。私たちは全知なる神の似姿なのだから、決して知識を軽んじてはならないのだ。

       ところが、クリスチャンではない人たちの中だけでなく、クリスチャンの中でも、知識を軽んじる人たちがいる。「知識はいらない。知識ではなく、大切なのは心だ」と彼らは考えている。心があっても知識がなければだめなのである。知識がなくて心だけがあっても、それもだめなのだ。両方が同時に要求されるのであり、それは当然のこととして一般的には認められている常識である。無知な善意は、知識をもって人に悪影響を与える悪意よりはずっとましかも知れないが、善意だけではとても聖書が教える大人として十分とは言えない。私たちは神の似姿なので、知識と理解において成長することを求めるべきであり、私たちにって「すべての知識」とは、もちろん聖書と福音を指している。

       六歳の男の子が、「ぼくにはできません。何もわかりません」と言うとき、誰も彼を軽蔑したりはしない。しかし、その人が四十歳になっても同じことについて「私にはできません。わかりません。できません」と言うなら、実におかしなことになるのだ。お父さんが子どもと同じレベルで答えるなら、それはおかしいのだ。クリスチャンもそうである。去年救われたばかりの人なら、知らなくても別に問題ではない。三十年前とか五十年前とかに救われた人が、「詩篇を開いてください」と言われて、「どこですか」と言うなら、どうしようもないのである。十年前に救われたのに、聖書の箇所が見つけることができないなら、それはおかしいのである。五年前に救われたというのに、まだ聖書を通読していないなら、それは変なのだ。

       「すべての知識に満ちている」と言っているのは、聖書と福音の知識のことだからである。昔の時代は、私たちほど自由に聖書を学ぶ機会はなかったのだ。ローマの人たちは私たちほどに聖書を学ぶ機会はなかったのである。しかし、ローマ人への手紙を受けるほどの聖書の知識を彼らは持っていた。ローマのクリスチャンたちはベレヤの人々と同様、良き聖書の徒であった(使徒行伝17章10〜11節)。それはローマの教会を全体として捉えるときにはっきり言えることであった。

       「善意にあふれ、すべての知恵に満たされ、また互いに訓戒し合うことができる」とパウロは言う。善意を持っており、聖書の知識に満たされているなら、互いに訓戒し合うことができる。最初の二つのものは、後のものの条件なのだ。善意がなければ、人を訓戒することはできないし、知識がなければ、人を教えたりすることもできない。「訓戒し合う」という言葉は、ジェイ・アダムス(Jay E. Adams)によって有名な言葉になっている。即ち、「カウンセリングの新しいアプローチ」という著書の中で彼は「ヌーセティック」という言葉を使っている。クリスチャンのカウンセリングを、彼は「ヌーセティック・カウンセリング」と呼んでいるが、彼はこのローマ人への手紙15章14節を土台としてそう呼ぶのである。

       「ローマの教会の信者たちは知識と善意にあふれていたので、互いにヌーセティックに戒め合うことが可能になるのだ」と、ジェイ・アダムスは説明している。「ヌーセティック」はギリシャ語の「ヌーセシス」と「ヌーセテオー」という言葉から来ている英語の言い方である。それは訳すことができないほど豊かな意味を持った言葉なので、日本語もそのままの発音で表現されている。ジェイ・アダムスはその著書の中で詳細に説明しているが、ギリシャ語の辞書にも同じような説明がある。

       そういうわけで、「訓戒し合う」と言うとき、このギリシャ語の概念として少なくとも三つのことを言わなければならない。まず、前提になっていることが一つある。それは、そこに問題があるということである。何か罪の問題とか、愚かさの問題とか、未熟さから来る困難とか、何かが誤っていて障害となっているので、その問題を取り扱わなければならない。それが「訓戒し合う」の前提となっている。もう一つは、言葉を用いて問題を取り扱うことである。そして、三番目のポイントは、聞く相手が変わることができるように話してあげることである。だから、問題があることに気が付き、聖書の御言葉をもってその人に話し、それによってその人が考えを変えることができるように、御言葉の教えを与えるのである。語られる言葉の目的は、相手の性格と行ないに変化をもたらせることなのである。それが「訓戒し合う」ことの原意である。

       これがジェイ・アダムスの言う「ヌーセティックに戒め合うこと」或いは「ヌーセティックな取り扱い」である。つまり、この言い方によってパウロは、大人のクリスチャンを励ましているのである。まずローマの教会には問題があることを指摘している。この世にあっては、成長した人々の集団であっても、罪がないわけではない。だからパウロは、知識に満たされ善意にあふれているその大人のクリスチャンたちが、もっと互いの罪の問題を聖書に従って取り扱うことができるように、励ましているのだ。

       罪の問題にまで至らなくても、この14章と15章にあるような愚かさの故に生じてくる問題を自分たちで互いに取り扱うことができることを、パウロは確信していると言うのである。パウロが焦点を当てている問題の種類とは、弱い兄弟と強い兄弟の問題のように、彼らが自分たちで取り扱うことのできるような種類の問題であったと思う。そのような状態にあるローマの教会にとって、パウロの使徒としての助言は確実に有益であったに違いない。

       「お互いを教え合う」という言い方は、パウロの書簡の中に何度も出て来る。教会員は、御言葉をもってお互いを助け合い、教え合うことができるようにならなければならない。そのことは新約聖書の中に何度も出て来る教えである。「互いを教え合う」というのは、誰かに「今から講義しますから、私の講義を聞いてください」と言うようなことではない。そうしても構わないが、そうしなければならないわけではない。交わりにおいて、自然に、心から御言葉に従った話をするのである。場合によっては、相手を叱ることもあるだろう。場合によっては、御言葉から深く教える必要もあるだろう。場合によっては、二人が問題について話していてどう考えてよいのかわからなくなって、他の誰かに聞かなければならないこともあるだろう。

       そして「訓戒し合う」と言うとき、互いの罪の問題を取り扱うことも含まれるので、マタイの福音書18章のキリストの教えを思い起こすべきである。主イエス・キリストは、教会の中で罪の問題があるなら、どのようにしてその問題を取り扱うべきかを教えてくださった。まず二人だけの間で問題を取り扱うべきである。それは「訓戒し合う」レベルだと言える。AさんがBさんに罪を犯したなら、Bさんが直接二人だけのところでAさんを責めるのである。二人の間だけで問題が解決されたなら、それで終わりなのだ。その後何かしなければならないことはない。

       二人だけの間ではどうしても解決できなければ、他の兄弟を呼ぶことも考えられるし、直接長老たちのところに行って話し合うことも考えられる。はっきりと罪の問題があるなら、神を恐れて互いによく「訓戒し合う」べきである。そして、「これは罪ですよ」と指摘する人がいつも指摘される人より成長したクリスチャンだとは限らないのだ。けれども、善意にあふれて話し合うべきである。それは「訓戒し合う」ということに含まれることである。

       「訓戒し合う」と言うとき、私たちは本当の交わりを持っているということも前提にされている。つまり、本当の話をするということであり、真実をもって話し合うことである。企業の中では、本当の話をいつも避けて関係を持つことがよくある。実際に私に、「日本社会では、本音を避けて関係を持たなければいけない」と言った人がいる。だから、会社ではゴルフやサッカーなどのスポーツについて話したり、映画やゲーム、ブランドやファッションなど、当たり障りのないことについてばかり話をする。それしか話さないようなかんじさえある。「本音の話をすると、意見の食い違いとかになって、喧嘩になったり、互いが気のあった協力者ではなくなる恐れがある」と言うのである。「だから、社会の問題についてどう考えるか、神についてどう考えているのか、真理についてどう考えているのか、罪なのか、罪でないのか、等の問題について私たちは話しないのです」と、その人からはっきり言われた。「本音の話をするな。それは誰にも益にはならない」と言うのである。

       それを聞いてクリスチャンはどう思うのだろうか。実は、教会は簡単にそのようになってしまいがちな集まりだということを、ここで言わなければならないと思う。本当の話を避けて、当たり障りのないきれいごとで交わりをする。本音を避けて交わりを持つことに成りやすいのである。それでは決して「訓戒し合う」という話にはならないのである。同時に、善意にあふれていなければ、本当の話などとてもできないものなのだ。それ故、本当の大人のクリスチャンは、知識がなければだめだし、善意にあふれていなければ、だめなのである。その中には識別力も愛も含まれる。それらが一つとなるときに、本当の交わりを持つことができるし、本当の交わりを求めることが可能になるのだと思う。それではじめて、地域教会として大人の状態になるのである。

       個人も教会も、成長していると言うなら、第一に善を求める決心が明確でなければならない。第二に、聖書の知識に長けていなければならない。それゆえ、第三には、問題を取り扱うことができるのでなければならない。パウロは、ローマの教会に自分の働きについて説明する中で、そのことを私たちに説明しているのだと思う。

       聖餐式を受けるとき、私たちは、ここでパウロが書いたところに戻るものである。一つには、本当に熱心に御言葉を求める心に戻るものである。そして、善意を持つ決心のところに戻るものである。知識において足りないけれども、求めるのである。そして、善意において、「あふれる」という程にはなかなかなれないにしても、善意に戻るのである。善意をもって生きる決心を新たにするのである。「私は神の御言葉の真理を求めて生きます」という心に戻って聖餐式を受けるのである。

       言い換えれば、これもやはり「キリストに似た者になる」という話なのだ。キリストに似た者になるというのは救いの目的なのだ。主イエス・キリストこそ、善意にあふれて、愛と識別力をもって、すべての知識に満ちておられて、弟子たちに心からの本音を与えたのである。「キリストに似た者になることを、心から求めます」というのが、聖餐式を受けるときに神にささげる私たちの心でなければならない。そのことを覚えて一緒に聖餐式を受けたいと思う。

     

    ――2002年7月14日――

     


    著 ラルフ・A・スミス師
    編集 塩光明長老
    著者へのコメント:shiomitsu@berith.com
     

    ローマ人への手紙15章7〜13節

    ローマ人への手紙15章14〜21節

    福音総合研究所
    All contents copyright (C) 1997-2002
    Covenant Worldview Institute. All rights reserved.